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「3年間を振り返り」 3年小林周太

平素よりお世話になっております。理工学部数物・電子情報系学科物理工学EP3年の小林周太です。文章を書くのが本当に苦手なので、読みにくいかもしれませんが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
 部員ブログで何を書こうか考えた時に、前回の部員ブログで「大学での目標」について書いていたことを思い出しました。そこで、今回は大学に入学してから今日までの約3年間を振り返ろうと思いました。
サッカー部に入部し、しばらく練習に参加して、大学のサッカーのレベルの高さに驚きました。聞いたことのある高校や全国に行ったことのある高校などサッカーの強い高校から来ている人がたくさんいました。いままで、同じポジションにこんなにライバルがいることがなかったので、少しワクワクしていました。いつかは、スタメンになってやろうと思っていました。しかし、なかなかうまくはいきませんでした。1年のほとんどは一番下のカテゴリーで過ごしました。1年の秋ごろ、サタデーリーグのメンバーに選ばれ、公式戦に出るチャンスがきました。1-0で勝っている後半から途中出場しました。チームはその後1点とり、2-0となりました。しかし、自分はボランチでありながら試合を全くコントロールできませんでした。自分が出てからは、ずっと攻め込まれていました。試合終了間際に立て続けに失点し、結果2-3で負けてしまいました。最悪な公式戦デビューとなってしまいました。試合の流れを変えられてしまったことがとても悔しかったのを覚えています。
2年になった年からはシステムが4-3-3に変わりました。自分はアンカーをやることになりました。小、中、高と攻めることしか考えていませんでしたが、このポジションでは、守備とのバランスを考えて、攻めるのを我慢することも多かったです。また、自分の苦手なビルドアップもこのポジションの重要な役割でした。慣れないことも多く、自分のボールロストからピンチを招くことも多かったです。攻めたいように攻められないことにストレスを感じることもありました。それでも、少しずつアンカーの役割ができるようになっていくのは、とても楽しいと感じていました。また、3年の春になって、Aチームの紅白戦にサイドバックとして呼ばれることがありました。もちろん、参加しました。すると、サイドバックとしてAチームの練習に絡めるようになりました。二刀流も流行っていたし、試合に出られる可能性が上がるなら悪くないなと思ってやりました。アンカーの時と同様に、サイドバックもなかなか楽しかったです。
県リーグが始まったころ、中盤をしていたAチームの選手が数人けがをしていたということもあり、春リーグ第3節の横浜商科大学戦では、3-0で勝っている状況で後半から出場しました。自分が入った後、セットプレーから失点し、その後自分の守備のミスから2点目を奪われて3-2まで追い上げられてしまいました。また、自分の途中出場で試合の流れをかえさせてしまったのです。結果は6-2で勝ちましたが、自分としては、悔しさしかなかったです。かなり緊張して、自分のプレーが全くできなかったことが本当に悔しかったです。改めて、自分のメンタルの弱さを感じました。
 その後も、しばらくはAチームの練習に参加していました。しかし、アンカーとサイドバックとしてプレーすることに、限界を感じていました。自分が好きなのは、相手のゴール前でプレーすることだし、好きな選手はダビド・シルバです。引退が近づくに連れて、攻めたいという気持ちが大きくなっていきました。それからはインサイドハーフができるときは、インサイドハーフをやるようにしました。やっぱり、攻められるのは楽しかったです。最後にこのポジションができたのは本当に良かったです。今、自分たちの代最後の試合になるかもしれないサタデーリーグの朝に書いているのですが、試合に出ることがあれば、全力で戦って来ようと思います。
 拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。これからも横浜国立大学体育会サッカー部の応援をよろしくお願いします。

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