お坊さんの説話(法話)に厳しい家族。
昨日、神社・寺散歩を久々にしたのですが、浄土真宗本願寺派・築地本願寺にも行ってきました。我が家は、浄土真宗大谷派なのですが、あそこの雰囲気がとてもいいのでプチ瞑想がてら、お伺いしました。今まで、建物とか彫像とかあまりちゃんと見たことがなかったのですが、今回は地下のラウンジ(葬儀の時や打ち合わせ用)に降りてみたりしました。つくづく、ユニークなデザインですよね。
私の仏教体験は、ほぼ祖母との生活の中から学んだものです。祖母は、毎日お仏壇にお供え物をして、月命日にはお坊さんに来て頂いてお経をあげてもらっていました。私が4才ぐらいまでは、家の向いが東本願寺(地方の)でしたので、我が家はかなりお東さんとはご縁が深かったみたいです。
そんな関係か、我が家は、というか伯母とか祖母とかが、お坊さんに慣れている、身近に感じているといえばいいのでしょうか。大都会ではなかなかそうはいかないでしょうが、昭和の頃の小都市ではまだまだ仏教イベントを頻繁に行っていたせいか、お寺さん、お坊さんが日常生活に密着していたようです。
祖母が、お東・大谷派のことを一口で説明するのに、「仏壇まわりがきんきらきん」と評していました。家の仏壇を見て、その時はなるほどと思った記憶があります。それで、ずーっとそう信じてきましたが、今調べてみますと、
そうか、仏具がきんきらきんのことを祖母は言っていたのか、と思ってさらに調べてみたら、どっちもきんきらきん、じゃないですか。
我が家のお仏壇はこんな感じでした。細かいことは覚えてませんが。
そのあと、引っ越したのですがその後もお盆、お彼岸とかのお墓参りもよく行っていたと思います。そうそう、曽祖父母の葬式は家であげましたし。
それで、ここからが本題。
今日築地本願寺で、夕方のお勤め後に、お坊さんの法話がありました。大阪から見えているお坊さんとのことでしたが、ちょっと私としてはあまりささらない話で、俗っぽい人だな、とか思ってまして、ふと伯母の言葉を思い出しました。
それは祖母の一周忌の法要の時の話で、叔父の家で行われたのですが私は参加しませんでした。参加した伯母は、”読経後のお坊さんの法話が「まじめでつまらなかった」と、叔父とは親しくしているようだが、似た者同士”と。叔父が真面目な人で、あまりくだけた感じや遊び心がないから、親しくしているお坊さんもそういうタイプで、法話が面白くない!と。いやいや、真面目じゃだめなんですか? 笑
どうも我が家は父方の祖父母、伯母あたりは、なんにでもエンタメ度を求める傾向にあったようで、お坊さんの法話(説教、説話)でも、面白さやこなれ感を求めるのですね。
さすがにその話は同意はできかねず、私は伯母を笑ってしまいましたが、そんな伯母が大好きでした。彼女の影響を多大に私は受けています。
お坊さんの法話にも、面白さを求める厳しい家族の話でした。