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『理不尽より自由気ままだよ。』〜日々短文日記〜(20191024)

『"好きなことで生きている"風に見える人って、君ら側から細かいところやプライベート含む"生活"を見ると意外と好きなことで生きてないんだぜ?』
って分かってもらいたい。それが見えたら次は『"好きなことで生きている"風に見えてた人たちが何かを見出そうと取り組んでいるんだぜ"生活"に対して?好きや好奇心はトレーニングして人生の中で身につけてきてるって道があるし、今でもなお探しているんだぜ?』ってことを知ってもらいたい。もちろん全員じゃないけどさ、まぁそれなりの人数はそうよってことは前提に置いてもらいたい。

『他人のことに興味関心なんて持ってもいいことないよー』ってよく言ってた僕が、『え?俺のこと全然知らないんだな君達?!?!』って他人に思ってしまったという、とても恥ずかしく情けなくなるようなお見事ブーメラン話が最近多い気がする。

自己神格化でもしたのかと言わんばかりに他人のことを語り散らかす人や、不確実性から逃げて小手先見識でしょうもない他ありきの物語製造機と化した人などまぁそれなりにいるということはよく勉強になったと思うし、その認知が僕の世界をかなり救ってくれると思っていた。彼らは他への興味関心を圧倒的に嫌う風に見せて興味関心だらけのことが僕の周りでは良くある。その上俺のこと知ってくれよみたいな態度は年中変わらず営業し続けて体当たりしてくる。そんなことが僕の周りで起きているということを理解した時の何かを積んだあの感覚は後から思い返すと尊い。
けれども僕の世界もそう甘くはないんだなぁ…と自分の宙に浮いている評判を聞いて思った。

1つ目の日常感想文はここでおしまい。
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もう1個いこう。今度はストレスコントロールみたいなとか言いたいけど、まぁダサい自己啓発本みたいな感じと言ったほうがわかりやすいかも。理不尽とかいう言語や概念みたいなやつに対する話。

『世の中は理不尽である』とか胸張って言い散らかした挙句、『耐えろ!しょうがない!そのまま時間が経てば夢が見えてきていつか手の中に来る!』で終わることを概念化して教えてるつもりでいるおじさんやおばさんが発生させる理不尽行動には、僕の中でもはや"理不尽"とかいう形では落とし込まれずに"No.教養"とか"ゼロリテラシー"とか"総合的不認知能力の欠如"とかで落ちていく。その場で理不尽の1つとして認知することはあっても、時間経つと理不尽とかいう文字は1文字も残らないくらいにはないかなぁ多分。

"人って他人に興味あるんだけれども他人のことそんなに見えてない人が多いから心配するなって"話。『理不尽は当たり前とか言うなよ古い!』とかじゃなくて、もう少し己含む人間の身勝手さってものが意外と思ってるより世の中を蔓延っているってこと。理不尽って多分被害者から見ると認識結果論。『あいつ理不尽だなぁ今の…』って感じの感覚。被害者側から見た加害者の奇行言動の結果がそうなるって話。でも加害者が訳の分からないロジックのない行動をした理由を《理不尽》という言葉で片付け続けてもそれストレス溜まるだけじゃないの?って話で、理不尽で理由づけが最後までモーラされてるわけではなくて、最深部にある'理不尽が発生する根源って当たり前だけど【人の身勝手さ】だし、【個々人の感情】。こうやって言語化して自分の中で理由づけしてく方が楽だったりしない心?『人間なんて出来たやつそんなたくさんおらんよ?自分ができてないとな?』"って話。


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部屋で目薬さしてたらなんか急に思ってつらつらと書いて、今に至った2本立て短文日記。



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