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『時間が足りない』とかまだ言ってるの?と遠目で低く眺めながら、自他共に諦める話 〜日々短文日記〜

『やりたいことを全てやると時間が足りません!』とか言ってる人にやりたいことすべてやらせたら意外と物理的に可能だったりするし、物理的に本当に無理なら時間って限られてるんだよ?みたいな当たり前なことにやっと気付けて良かったね?みたいな目で見てしまいます。おはようございます。学生やってます。

多分一昔前の僕も同じこと言ってた気がするから気持ちがわからなくはないんだけど、時間が足りないってよくインターネットで言いまくってる人とかリアルでやりたいことたくさんあるけどなぁ…って言葉が願望に転換する瞬間を他人にたくさん見せつけてる人たちは何が目的なんだろうと最近考えていた。ビックマウスは後の本人の行動に影響するみたいな次元の話じゃない人がサイレントマジョリティなんじゃね?いや、そもそもサイレントでもないかも…と思ってる。

自分の周りには忙しさこそが人生の充実!みたいな思考の人が何人かいて、入れる必要のない予定を無理に空いてる日に入れたりするのは結構見てきたし、まるで"ファッション多忙充"みたいな人がまぁまぁな確率で沸いてくる。そのくせあらゆることに対するレスポンスは日常レベルのやりとりでも遅いし、優先順位という名の意識に裏付けられた行動なのかと思いきや締め切りすら守れない人間だったってオチはまぁよくある。『家で寝てるのが生産性のある正義なことなのか!』みたいな棒でかかってこられそうだが対抗できない理由が一応あって、忙しそうな人を見て自分も予定を詰めまくることはまぁ悪いと言うわけではないしその人の自由だけど、その忙しそうな人って実は予定を詰める側ではなくて詰められる側の可能性があるのではないか?みたいな見方の部分を問うている。
別にどっちでもいいんだけど、自分から詰めまくることしかできなくて自分が周りから求められていないみたいな悲しい事実に気付かずに充実感(僕からみれば焦燥感だけど)浸ってる人が何とも言えないなぁと思ってまうことが最近多かった。

結局のところ、そのようなことに気付かずにいる人は…とか僕は書いてるけど、当事者たちって多分僕から見える焦燥感は充実感であり幸福感であるわけなんだろうし、物凄くどうでも良くなってしまうことが多いのがさっきの最近より直近の最近であり今である。
あれだけ空虚でいっぱいな忙しい忙しい発言を言ってる人たちが年末年始にいわゆる暇から生み出された余暇とか怠惰を過ごしまくっているのを見ると、別に無理に忙しくする必要ないじゃんとか思うし自分に嘘つかないで楽に生きなよみたいな目はまぁ出てしまう。

忙しいのが好きで、けれどものんびりした時間も好きな面は並行して持ってる人口はある程度いると思うけれど、そんな次元じゃなくてもっと初歩的な話だったなぁと書きながら気付いた学生の話。まぁ忙しいって口に出すのは悪だ!みたいな風習もそれはそれでやめて欲しいんだよなぁと再認識して諦める話。

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