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あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。
noteの投稿が久しく行われていませんでした。
新年はまたちょこちょことやって参ります。


さて、本題?ですが。

大晦日あたりからこの数日間は特別正月らしいこともせず、ひっそりと。
そもそも活発的に日々を過ごす人間でもないので、これがもはやいつも通りの正月なのですが。
しかしここ数年強く違和感を感じていることがあって。
それは、無理矢理どうにかして区切りをつけようとする年末年始の世間の風潮。

日を跨いでも、年を跨いでも、特に何も変わるというわけでもないのに。

大体、普段「変わらない自分」だとか「本当の自分」だとか幻想めいたものを信じ込んで頑なに「自分らしさ」を主張するのに、いざ年越しとなると「新しい自分になろう、変わらなきゃ」と都合よくのたまう人が理解し難い。

考えれば、普段から様々な自分を取り繕って、変幻自在に必死に生きている僕たちは、こんな年越しのタイミングこそ誰もがよく分かっていない「自分らしさ」や「本当の自分」を見つめ直す必要があるはず。

(前者も後者も実は対偶のような関係性で、言っている事は根本的に一緒のような気もしますが...笑)

無論、区切り良いところで気持ちを切り替えるという重要性・効率性はきっと無視できるものでなく、前者の考えは決して間違いじゃないのだけれど。それでもやはり「新しい自分に」というフレーズが飛び交い過ぎていて、少し気持ち悪い。


存在の可変性の容認と、その奥底にきっとある自分らしさの追究。

自分というものの「動と静」のバランシング。

この辺を理解して自身と向き合っていけばいい話なのでしょうか。


人間と時間と空間、モノゴトのバランスと重心。

香りの分野、そしてもう一つ働いてる銭湯の分野を通して、ぼくはこのテーマを模索したい。

哲学者でもないぼくには、一生かかっても答えを見つけ出せないような問題だと思うのですが、せめてこの問題に取り組む小さなやりがいだけでも見出す1年に出来たらなぁと思います。

宜しくお願いします。



新年早々偉そうに批判めいた事を言っておきながら、結局はぼくも新年の抱負を嬉しそうに語るのです。

きっとまだ自分の在り方の良い塩梅が分かってないのでしょう。

やる気が出ます。

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