noteをはじめて1年
noteを始めて約1年。Wordの下書きの文字数は11万を超え、記事の数は35と無駄に積み重なった。カードゲームをしていて感じたことを気の向くままに綴っていく私の記事はありがたいことにみなさんからも感想をいただくこともあり、励みにもなった。
始めた理由はただひとつ。何かとりとめもない文章を書きたくなったからだ。言葉を紡ぐのは楽しい。しかし無駄に文章を装飾したくなる私の悪癖は日常で求められる文章にはふさわしくない。その欲に蓋をしきれず、noteを始めようと踏み切ってみた。さて何を書こう。書きやすいのはやはり私自身の話。インドアな私の数少ない趣味、カードゲームが真っ先に思いつく。しかし含蓄ある記事が書けるほどのゲーム観や経験もなく、最前線で研究して実のある構築やプレイング解説の記事を書くような腕前もない。そこで真っ先に思いついたのが「エッセイ」である。随筆もどきなら私でも書けるかもしれない。何か切れ味するどい内容や多くの共感を生むようなものは私からは生み落とされることはないかもしれないが、私自身が楽しめそうだ。結果的に日記やブログのようになってしまったが、あまりにも暇になった時、自分自身で過去の記事を読むと思い出が芋づる式に蘇るのが意外と楽しい。思わぬ副産物だった。
半年は完全にSNSで告知することなく、まさにチラシの裏だった。思い出話や大会中にぼんやりと考えていることを書き留めていったもので、みんなに読んでもらうようなものでもないよなと自身に言い聞かせていた。とどのつまり、世にお披露目する勇気がないのだ。実績もなく、CSに頻繁に参加するわけでもない私の戯言になんの価値があろうか。その頃は名前も「やんす」といつも使っている名前は伏せていた。しかし「YNS」と諦めきれない自己主張が顔を覗かせていた。偏屈にもこっそりと続けていった。初のころは週一のペースで更新できればいいかなぐらいの感覚で続けていった。「さて、何書こうかな?」と考える時間も楽しい。言語化は自然と頭の中の整理に一役買った。またSNSで飛び交う話題にいっちょ嚙みしようとしても、SNS上で参加しようとするのには気が引けるし、140字は文字数が足りない。しかしnoteならば意図的にアクセスしなければ見られない、という一種の扉が存在するのが免罪符となり嬉々として筆をとる。
契機となったのは7月のデジモンカードゲームの公式大会で準優勝できたことだった。つまり、調子に乗ったのだ。「今なら公開しても誰にも叩かれないだろう!」と気が大きくなった。実は友人たちにも知らせることなくこっそりと書いており、まずは身内に告白した。そこからは亀裂が入ったダムが決壊するように自己顕示欲があふれ出した。天狗になった私はSNSでも告知し、名前とアイコンをSNSで使っているものに揃えて認識されやすいようにした。やはり文章を書くだけで満足できず、「誰かに読んでほしい」という欲が頭をもたげた。書く内容は変わってないかなと私は思っているが、鼻につきそうだな、とは我ながら思う。こんな文章しか書けないし、それを面白がっている節もあるので仕方ない。
ありがたいことに反響があったのは「大阪日本橋カードショップ番付 デジカ編」という4月に書いた記事だ。大阪で開催される公式イベントで全国各地から大阪入りしているプレイヤーがSNSで散見されたため、今が好機かと便乗して改めて宣伝した。カードショップが乱立しているエリアのガイドマップのようになって誰かの役に立ったのであれば幸いである。
これからも不定期に続けていければいいなとぼんやりと思う。みなさんからのリアクションはやはりうれしいし、満たされる何かが確実に存在する。さらには偶然とはいえ鉱脈にぶつかる瞬間は目からうろこである。今回の記事でも、原点は筆を握ること自体の喜びだと反芻することができたので、誰も興味がない内容でも書いてよかったなと満足している。そんな自己満足の世界に付き合ってくださるみなさんへ改めて謝辞を述べてまとまらない文章を無理くりに締める。