対戦中に発する「言葉」

 フリーにしろ公認大会にしろ、カードをプレイする際宣言することは当然である。自身を振り返ると、宣言に適したカードテキストの簡略化と使う言葉の取捨選択をしている。それが適切・不適切なのかは自己判断だと難しい部分もある。反省も兼ねてあげていく。

 たとえばこの「ハイパーボール」というポケモンカード、みなさんならプレイする時どんな文言を発するだろう。私の場合はこうだ。

「ハイパーボール、この2枚を切りました。(デッキを持ち、デッキの中身を見る)…(デッキの確認はしつつ)…ピカチュウex加えました。(デッキをシャッフルする)シャッフルお願いします。(相手が混ぜる)」

 まず何をプレイするかの宣言。できるだけ丁寧語を省く。見ればわかる情報または相手が再び確認できる情報、今回の場合はトラッシュに送った2枚は盤面に相手に両方とも見えるように提示する。決して重ねるようにして見せないなんてことはしない。少し横道にそれるが、切るカード次第では手札にある程度目途を立てられるかもしれないからだ。「あの2枚を切ったってことはそれよりも捨てられないカードを手札に抱えているのか…」「ボスの指令を切ったが、まだ複数枚採用しているからのプレイか、使いまわせるようなカードを採用しているのか…」とくみ取れる情報はさまざま。いわば手の内をさらすプレイになりうる。そこを意図的に開示させないようにするのはいただけない。話を元に戻す。私はデッキ確認はいちいち宣言しなくてもいいかなと思っている。サイド落ちしたカードの確認、リソースの再確認などサーチで目的のカードを見つけても副次的に生じるメリットは存分に利用すべきであり、ポケモンカードゲームではむしろ推奨されているプレイだろう。しかし残念ながら、もっともイカサマをしやすいプレイタイミングの1つであるということも事実だ。デッキの並び順がわかる、並び順を変える、本来はサーチできないカードを密かに手札に加えるなど、起こりうる悲しき事象の可能性はあるため、プレイ側は身の潔白を証明するプレイを、プレイされる側は性悪説を持って相手のプレイを油断なく見守る必要がある。今回の場合、デッキの中身を確認する土壌はできていると判断し、そのままプレイしてもいいかとも思う。しかし、遅延行為の一環とも指摘される可能性がある局面では宣言すべきかもしれない。

 「そもそも何故プレイ宣言に関してくどくどと考える必要があるのか、それぐらい好きにさせろよ」なんていう幻聴も聞こえる。確かにそうだ。好きにすればいい。しかし公認大会や大型イベントでは必ずゲームには制限時間が存在する。時間切れの裁定は各ゲーム異なるが両負けになってしまうゲームもある。25分~30分間はプレイヤー2人で共有しているものであり、いわばゲームの成立は2人の共同作業のようなものだ。もしプレイ時間を振り返ったとしてプレイヤーAは20分、プレイヤーBは10分の時間量を掛けて勝敗つかず、両者敗北になった場合、果たしてすかっとするようないいゲームだったと振り返ることができるだろうか。できるだけフェアな試合を心掛け対戦テーブルに着きたいのであれば、プレイ宣言の簡略化はあってしかるべきの配慮だと私は思う。

 勘違いしてほしくない点は、「早打ちのようにあわててプレイしろ」と言っているわけではない。あたふたして今どのカードのなんのテキストを処理しているか相手に伝わっていなければ元も子もない。それに難しい局面には相手の承諾を得てぜひ熟考してほしい。それもゲームの醍醐味だからだ。ならばこのゲームの数分後に起こりうるかもしれないその局面に備えてできるだけ時間の使い方に配慮しよう、という話だ。ぱっとプレイするところはささっとすまし、じっくり腕を組んで考えたい時は慎重にプレイするメリハリがあるはずだ。そこにはゲーム理解の差や、本人にしかわからないゲームの分水嶺が存在し、端から見たら「何にそこまで悩んでいるんだろう?」とやきもきしてしまうこともあるかもしれない。もちろんだが、それでも急かしてはいけない。さきほども言ったがゲームは共同作業。プレイされる側だってその局面はおとずれるだろう。つまりはお互い様なのだ。
 今回のプレイ宣言の話は「ぱっとプレイするところはささっとすまし」の具体的アクションの一例である。あくまでも心がけの話で、試合時間はすべて自分の時間ではないという話だ。

 宣言にかかわる話でもうひとつ。これはされる側の話だが、もしプレイエラー等が生じたままゲームが進むと盤面修復が難しいもしくはノイズが生じてしまう恐れがある場合、私は再確認をしている。具体的にはどういう話か。今度はデジモンカードゲームを例に挙げる。相手デジモンのアタック宣言時に「アタック対象」「DP」「セキュリティチェック枚数」を再確認もしくは復唱するようにしている。もし相手がデジモンにアタック宣言していたのにこっちが勘違いしてセキュリティをめくってしまえば、本来知る術がないセキュリティの中身を知ってしまうことになりうる。こういった認識の齟齬から生じるエラーのリスクを軽減すべく再確認をしている。くどくなりすぎないように、指を立てて「1点?」「2点?」と単語だけで確認することもある。

 この2点の話の根底には「気持ちよくゲームを楽しみたい」という単純明快な思いが存在する。趣味・遊びなんだから、無意識な行動で相手が不利な状況になってしまうのも望ましくはない。しかし、こういった自身の言葉や所作に対する外部監査はなかなか存在しない。ゲーム性以外のプレイを注意したもしくは注意されたことがある人は少数ではなかろうか。親しければ親しいほど難しいようにも思う。もし普段遊んでいる人から注意もしくは助言を受けた場合、その人をぜひ大事にしてほしい。なかなかできることではない。話の中身や本人のあれこれは度外視するが。そのため内部監査に頼らざるを得ないが、これが非常に怪しい。自身の経験則や周囲のプレイヤーから影響を受け、自身のプレイに反映することはあるが、それが適切不適切かは難しい判断だ。もしかしたら「くせのあるプレイ宣言の人」なんて影で言われているかもしれない。そう思われているかもしれないと思うと私もやや臆病になってしまう。しかし、ひたすらに自己流になってしまうが自身のメンテナンスを繰り返していくしかない。

 余談だが、面識のある人とフリーをする時にプレイ宣言を省いてさくさくとゲームが進む時、謎の喜びを感じてしまう。こういった砕けたプレイができるほどに気が置けない関係になったのかも…とうれしくなってしまう。また先日、ディスコードで以前から交流のある方と遊んだ時、丁寧なテキスト説明を受けた。確かにいまいち私もテキストがふわふわしているカードで、ディスコードではテキスト確認はしづらい。そこを配慮したとしても、いわゆる「わからん殺し」にならないような一歩進んだテキストの説明をしてもらった。この清々しい姿勢はぜひとも真似したいと思った。言葉がなくなることも言葉が増えることも心に染みる瞬間がある。

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