私とmemeの作製レシピ
材料
一握りの人間
知性
目
作り方
まず人を用意します。
存在を認知させます。
出現します。
本筋
「数多の物は見られる事で存在が確立する。」
これは、かの論理哲学論考を出版したウィトゲンシュタインが近いニュアンスを語っている。
ミーム(meme)とは、脳内に保存され、他の脳へ複製可能な情報である。
ここで言うミームとは、著者リチャード・ブロディ『ミーム―心を操るウイルス』の解釈である。
私にとって、自分とmemeとは他人が存在する事で成り立つ不定形な物質だと認識している。
イメージしてほしい。
反射率0%の誰も居ない白い部屋、その中に100年も閉じ込められたらどうなってしまうか。
そんな中で、私は本当に「存在する」と言えるのだろうか?
つまり、私/memeがちゃんと『あるように』なるには「人間」の存在が必要不可欠という訳だ。
私とミームは似ている、一人で居ると気が触れて、次第に夏の生ものの様にグズグズになって腐り果て消滅してしまうのだ。
証拠、と言っていいか分からないが、参考にとある実験の記録がある。
それは<ハーローのアカゲザルの実験>だ。
これは布の母親、乳瓶がある針金の母、それぞれの差違で猿を育てようという実験だ。
結果、針金の母を持つ猿は発狂し死亡した。
これは「より生物に近しい存在」を認識できている事で生きていたと言っても過言ではない。
言ってしまえば「認知」とは認識できないほど薄まった「愛」だと解釈している。
そういうところで、私はミームと似ている。
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