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注意散漫話六篇

芸術の話。
宮本浩次の「異邦人」が凄い。取り憑かれたように聴いている。宮本浩次は芸術です。あとは草野マサムネ(スピッツ)も芸術です。芸術になりえた人々は人生のどのタイミングで「私は芸術だ」と気づいたのだろうか。もしかしたら気づかずに雑踏に埋もれている人もいるのかしら。もったいない。いや、気づかないほうが幸せかもしれない。


飽きた話。
難波はほとほと飽きてしまった。飽きた、よりも、うんざりした、の方が近いか。街が醸し出す親近感と悪臭(おそらく金龍ラーメンのせい)に見て見ぬ振りをできなくなってしまった。少しぐらい人見知りの街の方が落ち着くもの。あとはここが日本だと自信を持って言えなくなってしまった。すれ違う人々の言葉は知らない言葉。すごく不安になるの。

お正月の幸福とショッキングな話。
おじいとおばあの家に行く。明けましておめでとうございます、と恭しく挨拶をしたら、すぐにおばあの髪を櫛で梳く。乾き物と蜜柑を食卓に並べて、宴なり。豪勢な食事がなくてもお酒が進む。おじいとおばあにお年玉を渡したら涙ぐんでいた。そんな感情になる日はやってくるのかしら。おじいとおばあの出会いの話。おばあは熊本の下町、スナック弓の看板娘で、おじいは大阪から橋をかけるために出張でやってきた。おばあの方が惚れ込んで、おじいの現場の帰り道で雨の日も雪の日も待ち続けていた。その姿を愛おしく思い、堪忍したおじいがおばあを大阪まで連れて帰ったそうだ。その話を嬉しそうに聞く我が母。母はおじいとおばあの前では当たり前だけど、娘の顔に戻る。そんな母は案外好きだ。寄り添うつがいを目の前にして、年老いても、倒れて身体をうまく動かせなくなっても、何があっても、こうして昔話を微笑みながら、少し恥ずかしがりながら、話せる相手がいるのは素敵なことなのかもしれない、と思う。眩しく映る。おじいは私のことを名前ではなく、「先生」と呼ぶ。それがすごく嫌だ。私は貴方の先生ではありません。名前で呼んでよ。「訊いてよ、お父さん。この子結婚したくない、子どももいらないって言うんよ」と母が告げ口する。(ひとつの話題として私の価値観が今から昇華されていきます。)と構えます。すると、おじいは「先生、結婚して、子どもを産み育てんと、女じゃないよ。」と確かに目を見てそう言った。母も「わたしもそう思う〜、女の幸せは結婚と育児」と頬を赤らめながら私の顔をギョロリと見た。悲しかった。女ではない、か。では私は今なんですか。横でおばあは柿の種をボリボリ食べていた。息苦しい。「そうかもな」と返す自分に嫌悪して、心が死んだ。

恋人の話。
彼は家族が嫌いらしい。だから、実家には何年も帰っていないし、幼少期の素敵な思い出(?)も思い出したくないと言っていた。何があったのかは深くは聞かないことにした。親は親という病にかかっていて、母は母という呪縛に取り憑かれている。子どもは檻の中。家族が大好きな人とは恋愛において、そりが合わないだろうと思っているので、好都合。彼にはお気に入りの時計がある。立派な時計。時計のブランドには興味がないので、聞いていないが、立派な時計。私は何も言っていないけれど、突然、「俺さ、この時計すごく好きで大切にしてて。家にもう1本あるんよ。子どもができて、大きくなったらそれを渡してあげたい。」と言い出した。家族という塊に嫌悪している彼から、未来の家族の話が出るのは意外で、許された気分になる。彼は私のコンプレックスを優しく認めてくれるので助かっている。インフルエンザにかかったらしいので安静してほしい。少し惚気。

幼少期のお正月の話。
母方の実家と父方の実家は向かい合っていた。しかし、陰と陽。母方の実家には光が差し込み、壁も白くて、前には花が咲いている。父方の実家は光サンには見えていないようで、壁は灰色で、前にはガラクタが置かれている。幼少期の元旦の過ごし方はお昼ご飯を母方の実家で食べて、いとこと遊んで、夕方になったら父方の実家に挨拶に行き、夜にまた母方の実家に帰る。幼少の私は父方の実家が嫌いだった。できれば行きたくなかった。ずっと、あの陽のお家にいたかった。年に一回しか会わない大人と同じ空気を吸うのは普通にしんどい。夕方になると、母の「あー、もうこんな時間か。行かなあかんな、あっちに。そろそろ行ってくるわ〜」という台詞を皮切りに四人で向かいの陰のお家へ向かう。父はひと言も「そろそろ行こか。」なんて言わない。母のその台詞を待っている。母の台詞がトリガー。父は浮き足立つ。我が娘二人と我が妻の足取りは重いのに、父一人足取りが軽い。踊っているように見えた。陰のお家に到着すると、人格交代かのように、はしゃぎだす。父は十人兄弟。男五人女五人。兄弟のほとんどが身を寄せ合って暮らしている。おばあはいない。おじいだけがいる。あとテレビの前にずっと座っている謎のおじさん。おじいへの挨拶がこの世で一番苦手な時間だった。なぜなら、おじいはいつまでたっても孫の私の名前を覚えてくれないから。母は毎回、「あけましておめでとうございます。名前わかりますか??あー、〇〇です。」から始める。おじいは悪びれもなく「知らんのう」と言う。(知らんわけないやろ。毎年言ってんねん。)と半ギレだった。とにかく父は、はしゃぐ。尻尾がついていたら確実に激しくポップに揺れている。いつもと違う父の姿を見るのも嫌いだった。それが小学校高学年になってくると、愛おしく思えるようになった。おじいが名前を覚えてくれないのにも腹が立たなくなった、諦めた。何なら、「ちょっと行ってくるわ」と気怠そうに言いやがり、答えられないと分かっている孫の名前当てゲームを毎年のように開催する母に腹が立っていた。これが母性の目覚めでしょうか。現在、陰のお家は陽のお家の向かいには、ない。はしゃぐ父親も、いない。毎年、陽のお家に新年の挨拶に行くたびに消えてしまった幻の陰のお家の方に、ステップを踏んでいた父の姿が見える気がする。

ダイエットの話。
去年の目標は「痩せる」だった。しかし、去年の初めから3キロプラスでさようなら、卯年、また12年後!今年の目標は「絶対に痩せる」”絶対に”をつけたからにはやるしかない。納豆キムチ豆腐きゅうりキウイ林檎ごま油お吸い物の素(マグカップ茶碗蒸し用)は手に入れた。これで夜に駆ける。スーパーでカゴを持ってうろうろする高揚感を初めて味わった。一人暮らしをしたい。一人暮らしを始めたら、家事は全部一人でしないといけないし、もちろん仕事だって行かないといけないし、ひもじい生活になるし、休む時間なんてないだろうから、痩せるのでは?という単純かつ愚かな思考回路。とりあえず物件を探してお気に入りする毎日。大大大好きな妹も家から出たし、会話するのもしんどいし、解放されたいし、息が詰まるのももう嫌だから、勢いで一人暮らし始めちゃおうかな。なんて思いながら、母親が何て言ってくるかな、そもそも許してくれるかな、空気悪くなるよな、あ!引っ越し決まるまで黙っとけばいいのか、家の住所教えたくないな、どうやったら家出ることバレへんかな、なんて考えている時点で牢獄の中。ダイエットのことは頭からすっぽり抜け落ちているので、今年もプラス3キロか。

久々ノート。こんにちは。

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