ウルトラメディアクリエイターが斬る。「推しの子」を叩いてるガキ共にとっては成長のチャンスだ

 超ネタバレ

 2024年11月後半。超人気漫画「推しの子」の最終話掲載に前後して、この作品を叩く連中が増え、Youtuberもこれに便乗して小銭稼ぎをしている。実に嘆かわしい事だ。

 世の中には、ハッピーエンドに向かえたのではないか。ハッピーエンドでなければならない。ハッピーエンドにしかなったのは作者や編集者の瑕疵だ。そういった暴論が跋扈している。
 それらの薄らボケのザコどもによる暴論を論破する

ハッピーエンドだと思えないお前らが終わってるんだよ。

 「推しの子」は間違いなくハッピーエンドだ。雨宮吾郎はアクアの実父であるカミキヒカルを、理の面と超理の面、両方の面で超越した。超ハッピーエンドなんだよ。

 アクアの理は映画作りと、芸能界やマスゴミ連中にフォロワーや非敵対者を多く作り上げた点。この点で間違いなくカミキヒカルを超越した。
 そしてアクアの超理はカミキヒカルの未来を飲み込むという決断をした点。すなわち殺人に関して、カミキヒカルはアクアが「復讐に狂った殺人者」というテレビショーを避ける方にベットしたが、アクアはこれを「若手男優の悲劇」に書き換え、勝利した。
 死ぬことで父を超え、自分の周囲の芸能関係者を守り、社会を守るという、雨宮吾郎とアクアの欲望の実現なんだよ。
 どうみても超ハッピーエンド。疑いなし。

「カミキヒカルを死刑にすればハッピーエンド」

 たとえ映画を公開しカミキヒカルを社会的に追い詰めたところでカミキヒカルは終わらない。
 日本の刑法においては殺人ほう助または殺人教唆の疑いがある。殺人教唆の最高刑は死刑だ。
 カミキヒカルは犯人に対して具体的な方法を示したり、直接的に事件に加担したりしておらず、検察が頑張っても懲役5年以上の実刑。証拠不十分で不起訴という可能性も十分にある。
 カミキヒカルの類まれなる人心操作術は彼がどこに居ても機能するだろう。刑務所の中で本を書き、世論を操作することすらできるだろう。ムショを出れば猶更だ。被害者は増え続ける。
 不起訴となっても同様で、ただカミキヒカルが芸能界から放逐されるというだけであり、彼は己の欲望と弱さの充足の為に、多くの人を間接的に手にかけ続けるだろう。これによりアクアが居る芸能界は多少安全になるだろうが、雨宮吾郎が居たより広い世界としての社会にとっての不安全性は変わらない。
 芸能人アクアは映画の公開でカミキヒカルを芸能界から追い出すだけでも満足したかもしれないが、医者雨宮吾郎はそれをゆるせない筈だ。
 よって「映画公開の結果カミキヒカルが芸能界から放逐されたり、警察のお世話になればハッピーエンド」と言っている人々は視野が狭く、馬鹿である。ばーか。

「カミキヒカルが改心すればハッピーエンド」

 ばかじゃねーの?
 カミキヒカルは間接的に多くの人を陥れてるんだよ。殺人も含めてな。それらが放置されて
「なんか改心しました。償いがんばりまーす」
 で収まりがつくかっての。本当に漫画読んだか?あるいはお前の倫理観終わってるんじゃねーのか?
 エンタメ創作物の世界ってのは現実に比べて過剰なまでに因果応報や抜本的解決が必要なんだよ。たとえ現実世界でプーチンや毛沢東がベットの上で安らかに死のうとも、碇ゲンドウやルフィーは罪を抱えて無残に死ななければならない。範馬勇次郎?知らん。
 まぁともかく、そういうものなんだよ。「劇的」って言葉があるだろ。過剰なまでに因果応報的だと「劇的」になるし、人間はそれが好きなんだよ。ときに、それが事実であるかどうかすら放り出して、嘘だとわかっていたとしても縋ってしまうんだよ。
 アクアが自分の死を「劇的」にしたのはそれが目的。
 エンタメづくりの本質とも符合している。ここ芸術点高い。作者さんマジで冴え渡ってる。いや、作品に作者を意識するのは不純だとか言う奴も居るだろうけど、言わせてくれ。作者さんマジですごい。

「アクアの死を消化しきればハッピーエンドだった」

 アクアが問題を解決したからハッピーエンド。でもアクアが死んだからモヤる。アクアの死を消化しきる物語があればすっきりハッピーエンドだった。だと?お前はさぁ、傲慢なんだよ。
 人の死を消化しきれると思い込んでるお前は傲慢なんだよ。なに?アクアが実は生きてて「テッテレー!ドッキリ大成功!」とか言えばいいと思ってんのか?
 それとも周囲の人間が全員アクアの死を合理的に理解し欠落を埋め戻せばいいってのか?アホか。頭ハッピーセットか。そんな奴いねーよ。
 人間はままならねーんだよ。死んだ人間は戻らない。他人を失った人にとってもそれは不可逆で「あの時ああした方が良かった」という後悔は残り続けるんだよ。過去と現在と未来を消化しきれると思い込んでるお前は神の如き傲慢さを持った悪魔なんだよ。ままならない人間の様子を内包しているからこそエンタメは飽きられねーんだよ。
 わかれ。わからないなら死ね。

「敵キャラとしてのカミキヒカルが微妙だった」

 ぶっちゃけもっとカミキヒカルを読みたかった感はある。カミキ回でもっと面白い話を作れたのは、作者もわかってるに違いない。
 でも考えてみれば、彼はアクアのリアパパであり、雨宮吾郎に人心操作の才を与えた恵みの神だ。アクアよりも先に居る、アクアみたいな奴。アクアを見ればカミキヒカルの影が見える。そういう構造だ。既出漫画以上にカミキヒカルを描いたところで「あ、かなりアクアじゃん」ってなるくらいなもん。実は既に腹八分なんよ。これ以上ゴチャゴチャ書く必要もない。
 まぁ後から冗長と言われようとも、もっと描くのも手だったけどね。エンタメなんだから。
 もちろん、作者さんは外野がそれを考える量の100000倍考えたうえでのこういう構成をされたんでしょうから、その決定自体には反対する気はございませんし、先述のとおりカミキヒカルのお膳立ては腹八分で十分だと思いますけども。

「読者の期待に応えていない」

 極論エンタメとは読者に結末を期待させ、その結末を提示するもの。
 クリエイターってのは、人間の実に単純な報酬系をくすぐるお仕事。
 じゃぁ推しの子が読者に期待させた結末を、そのとおり提示しなかったか?それは否。しっかり提示していた。雨宮吾郎が死んだことを忘れたとは言わせない。
 死から始まる物語から想像できる結末は死か誕生の2択。フィクサーのアクアが死に、スターのルビーが生まれた。ほらバッチリ。
 というかアニメOP視た?視たない?視な。

 曲の終わりが単調のコーラス。これどう解釈しても、中学生がお弁当持ってピクニックに行くテンションじゃないでしょ。
 ここまでバッチリわかりやすく、たった一つの星が輝く闇とEnd Of Tapeを見せられて「人死にに始まったということは、人死にに終わる物語なんだな」と感づけない奴はセンスが終わってる。何なら作曲者・編曲者に対して失礼。センス終わってるくせに「期待外れ」とか言われても困る。「なんか自分にはよくわからなかったな」くらいにしとけ。猿か犬猫くらいの知能はあるだろ。あるよな?それくらいは期待させてくれ。
 VHSとか知らない世代の奴はEnd Of Tapeわからんか。そこは演出上の不手際というか、ターゲット世代違いというか。まぁ、察しろよ(傲慢。

「最後駆け足過ぎじゃね」

 ちょっとわかる。ちょっとわかるが、これは雨宮吾郎の物語なんよ。吾郎が死んでハイおわり。でも全然OKなわけ。さすがに読者が受けるショックが大きいので、通夜葬式や四十九日のように心を整理する場として、アクアが死んだ後の世界もちょっと書くべきだけど、何から何まで説明する必要などないし、それが投げっぱなしに見えたところで、だから何だって話。
 というか一々細かいことに対して伏線回収だの何だのを求める妄執狂は、昨日自分が見た動画の、動画を再生した理由の事前整理と、見た後の復習までちゃんとやってるのか?やってるよな?やってるか。よかった。まじめだね。

文句言ってるガキども

 要するにお前らは「推しの子」を理解する能力が無く、また「推しの子をもっと読み続けたかった」という言葉を出す勇気が無いから、道理の通らない妄言を吐いてるんだよ。
 妄言吐くくらいならまだしも、何の落ち度もない作者を攻撃してるとか、人間として終わってるよマジで。おまえ。漫画ファンではなくて、単に他人を叩く快楽の為に、その道具を探して日夜徘徊してる悪魔だよ。お前は。
 反省し成長しろ。
 でなければ死ね。


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