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天才とは、熱量である

「ボクらの時代」で、南海キャンディーズ山里さん、オードリー若林さん、直木賞作家の西さんが出ている回を見た。

同年代3人の会話はとても楽しく、あっという間に時間が過ぎたのだが、その中で、山里さんが行動する熱量が「他者への嫉妬心やコンプレックス」というような話になったとき、西さんがこんなことを言っていた。

天才の人って、怒りみたいなパワーが衰えへんのやろな。大人になると、どこかのタイミングで「もうえぇか」というふうになってしまうのに、そうならないくらいの熱い芯があるんかな、って思う。

「天才」というワードを発する時、私たちは「ある特定の能力に優れている」とか「とんでもなく努力できる」「没頭できるくらい好き」というような人を想像する。

だけど、そうではなく「衰えない熱量がある」というのが、もしかしたら天才と呼ばれる人の特徴なのではないだろうか、と西さんの発言を聞いて思った。

大人になると、「尖ってた部分が丸くなっていく」というのはよく聞く話。それはもちろん悪いことではないが、逆に言うとそれは「世間一般の感覚に近づいていく」ということなんだと思う。

「どれだけ時が経っても、変わらず持ち続けている何か」が、長年積み重なって熟成されたとき、何かのタイミングで社会の目にとまる。

天才とは、そういうもんなんだろうか。
まあ、全てとは言わないが。

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