ばあちゃんが亡くなった。

ばあちゃんの年齢は亡くなったと聞くまで正確な数字は知らなかった。85歳だったそうだ。僕が小さい時からばあちゃんはずっとばあちゃんで、おばあちゃんという感覚しかなかったから85歳と聞いてもあまりピンとこなかった。

長男の娘が去年産まれて、ばあちゃんにとっては曾孫ができてとてもこの1年間くらい楽しそうにしていた。関東に住んでいる曾孫をばあちゃんに会わせるために頻繁に長男はばあちゃんに会いに帰っていた。
曾孫の成長をもっと見たい、とスマホデビューも果たした。母親とばあちゃんと兄弟のライングループが出来て毎日のように長男から送られてくる曾孫の写真や動画に、祖母は返信を返していた。僕たち兄弟は写真を見てかわいいなと思いながらも、特に発言はなくたまに写真を保存したりしていただけだったが、ばあちゃんは毎回全部の写真や動画に語りかけるようにひ孫に向けてのメッセージで返信していた。

僕がカナダから帰ってきたのは今週の月曜日だった。
日本に帰ったことをグループラインで言うとばあちゃんは「おかえり、若い時に行きたいとこいっぱい行くのが良いと思うよ。日本でちゃんとご飯食べなさい。」と返信をくれた。このメッセージが最後の生存を確認できたものだった。

翌日のグループラインに母親が「おーい。」「鍵開けてー。」とコメントがあり「?」と言った感じで僕はスルーしていたがその数時間後に祖母が亡くなったと母親から知らされた。定期的に祖母の家に会いに行っていた母親が電話をかけてもドアのチャイムを鳴らしても出てこないので送ったラインのメッセージがアレだった。合鍵を使いドアを開けるとチェーンがかかっていたらしい。すぐに近くの工具店でペンチを買い開けて入るとお風呂の中で亡くなっていたらしい。

ここ数年、正月は毎年地元に帰省して祖母にも会っていた。
祖母は元気で認知症もなく独り暮らしをしていた。高血圧と脚が少しおぼつかないというのはあったが杖歩行で問題なく生活していた。
毎年正月に祖母の家で食べるお鍋やステーキは美味しかった。今年の正月は確かケーキも作っていた気がする。
いつかばあちゃんは急に亡くなるんだろうか。それともガンや心不全やらを発症して入院して、死ぬ予兆を見せながら死ぬのだろうか。と毎年ここ数年は正月の度に考えていた。でもやっぱりこんなに早く亡くなるんだと驚いた。
何となくあと数年、何なら10年くらいは生きているんじゃないかと勝手に思っていた。僕が結婚する時や立派に働いている時は見せたいと思っていたが、結局ばあちゃんが亡くなったのは研修医からフリーターになって海外からも帰ってきた孫の姿を見ている時だった。

ばあちゃんはどんな時でも僕を肯定してくれた。
僕の進路、選択を全部肯定してくれた。
怒られたこともほとんどない。小さい時に食事中のマナー的な部分で怒られたことがあった気がするがほとんど覚えていない。
ばあちゃんの家で泊まった時にゲームをして夜更かしをしていてもばあちゃんは何も言わない。にっこり笑いながら肘を机についてこっちを見ていてくれる。
褒めてくれたことしかない。

ばあちゃんがひ孫に会っている時の動画を昨日見返したがすごく笑顔で「この子は頭がいい」「手先が器用」とベタ褒めだった。
長男はいつばあちゃんが亡くなるかわからないと言うのをちゃんと分かってて頻繁にばあちゃんに会いに行っていたのだろうか。
祖母の死を持って兄貴の凄さを知ることができた。

母親の凄さも知った。
第一発見者で実の母親で絶対に困惑したと思うが、僕に報告してくれた時の電話口はものすごく落ち着いた様子だった。
カナダから帰ってきたタイミングというのはすごいねえ、最後に話したのは僕に向けてのメッセージだったねえ、と気丈だった。
グループラインでは、僕の今年のフリーター生活を肯定してくれていたが母親から本当は心配していたというのを聞かされた。
僕も心の中ではそうだろうなと思ってはいたが来年から真面目に働くところを見せられるから特に気にしていなかったが結局見せられなかった。

お通夜、お葬式に地元に帰省するが亡くなってしまった祖母を実際に目にすると僕はどんな感情になるんだろうか。
今は、亡くなったのか。とばあちゃんとの思い出を振り返っているが、「悲しい」という気持ちがまだ先行してこない。

亡くなったばあちゃんに僕のこの2ヶ月とこれからの展望を教えてあげたい。

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