生臭牧師の女難

 その女と出会ったのは、小降りかと思った雨が土砂降りに変わって、私の住む教会の屋根をけたたましく叩き始めた夕暮れの事だった。
「こりゃあ、また雨漏りするかな」
 一日を屋根修理に費やしてうんざりしていた私は、自分のハゲ……つつましい毛髪の頭を掻いた後、修理した箇所が完全かどうか見回る事にしたのだ。
 牧師というのは本来、もっと信者のための有意義な事に時間を費やすべきなのだが、いかんせんこの教会に従者はいないし、私には嫁も居ないので全ての仕事を自分でこなすより他は無い。
 ああ、仕事が出来て二十代前半まで、ナイスバディの女と知り合えるなら悪魔だって崇める。真に迫る冗談を交えつつ見回りを続けた私が最後に、入り口の雨どいを確かめようとドアを開けると、そこに居たのだ。
 驚いた顔でこちらを見つめる、小麦肌のぴちぴち現役JKが。
「……神よ」
「え、アンタ此処に住んでんの? 浮浪者?」
 神への感謝を述べた私は女の失礼な物言いに目を瞑り、教会の中へと暖かく迎え入れてやったのだ。

「へえ、中も意外と綺麗じゃん。絶対あばら家だと思ってたのに」
「ははは、集まりがあれば多少は賑やかなんだけどね。お腹が空いているだろう、これを食べると良い」
 相変わらず失礼な物言いの女に私は苦笑しつつ、買っておいた夕飯用の焼きそばパンを無料で手渡した。
「あざーす」
 今どきの品のない礼を述べて女は焼きそばパンを受け取る。彼女のネイルを施した指はしかし細く繊細な印象を与え、まだ苦労を知らない子供であることが伺えた。
 顔についても、濃い化粧やピアスのせいで大人びて見えるが、リップで強調されない薄い唇が小麦色の肌と合わさって寧ろ健康的な雰囲気すらある。黒いままの髪と合わさってスポーツ少女でもしていた方が似合うのではないか。
(仲間に合わせるため背伸びして、似合わないギャルメイクをする女の子。うん、堪らん!)
 大満足のシチュエーションに私はにやけそうになる唇を無理やり押さえつけて、彼女が焼きそばパンを少しずつ食べていくのに見入った。そう、女の子が口の中へ少しずつ咥えていくのを――
 同時に、私の中に激しい後悔の念が押し寄せてきた。
 どうして、どうしてこの教会には、ホットドッグが無いんだろうと。
「……なんか、邪気を含んだ目線を感じるんだけど」
「……! 邪気だなんて、とんでもない」
 私は慌てて作り笑い浮かべ、女のあらぬ誤解を解きにかかる。
 危ない危ない。神学部の先生に“笑顔だけは聖人”と言われたアルカイックスマイルが無ければ、大変な事態になっていただろう。事実女の視線は仇を見るような明確な敵意から、少し疑うくらいのものに変わっていた。
「本当にぃ……?」
「ええ、本当です。此処は教会で私は牧師ですよ。煩悩の類を払わんと修行する身としては、心底心外といった思いです」
 自信たっぷりな答えに女が納得しかけたところで、私は本題を切り出すことにする。
「じゃあ誤解も解けたところで、名前と、この教会に何の用なのか教えてもらえるかな」
「……!」
「何も聞かずにってわけにもね」
 女は一瞬体を強張らせたが、覚悟していたのか話し出すのに時間はかからなかった。
「……名前は、深津理沙。ここに居たのは雨宿りため」
「そうですか。私は佐竹と言います、此処の牧師です。それで、何故家に帰らず此処で雨宿りを?」
「家……出てきちゃったから……」
「あー、成る程、確かにそれでは帰れない」
 長くなりそうだ。そう思った私は近くの椅子を引き寄せて、長椅子の端に座る理沙のすぐ横に陣取る。ナチュラルな距離の詰め方に彼女は疑問に思う余地も無かったらしく、最後の止めと私は得意の笑みで上目遣いに理沙の顔を見る。
「良ければ、お話聞かせて貰えますか? 解決策が思いつくかもしれません」
 そして信頼を勝ち取り、あわよくば……! と、これは笑みの奥に押し込んだ。
「……いや、でも」
「恐れる事はありません。教会は神の領域です。誰にも話さないと約束しろと言われれば、私は絶対誰にも話しません……神に懸けて」
「う~ん、話すだけなら……いいのかな?」
 良いからとっとと話せよ、という思いも押し隠して、私は理沙が少しずつ話すのを信望強く聞き続けた。
 女の名前は深津理沙。実家があるのは此処から山一つ越えた場所にある鄙尾他(ひなびた)という名前の村で、日本にはどこにでもある限界集落だ。
「待てよ……鄙尾他? ニュースで行方不明者が出たってのをやってましたよね?」
「ああそれ多分アタシ。もう三日は家開けてるのかな」
「み、三日?!」
 何て胆力だ。現代人が三日も山道を歩き続けるなんて、体力よりなにより正気を疑われてしかるべきだぞ。
「そ、それほどまで逃れたい事が……中々想像がつかないな」
「アタシも自分で驚いてる。でもそれくらい腹が立つんだよ、あの糞親父!」
 よくあるヤツだ。怒りが再燃したのか、すごい形相で目の前の椅子を睨みつける理沙に、私は続きを離すよう促した。
「アタシの親父は村の村長やってんだけどよ、何をトチ狂ったか村を立て直すとか言い始めてあちこち引っ掻き回し始めたんだよ」
「改革派ってわけだ。でも意外だ、そう言うのは若い人がやって大人が反対するってのが、よくある構図だと思っていたけど」
「ジジババは生きてるので精一杯さ。だから、アタシ意外には止められないんだ」
 ああ、ヤンキーとかが良くやってるヤツか。私は訳知り顔で頷いた。なんか地元ラブとか言って一文にもならない土地にへばりついてるヤツ。そこ以外居場所がないだけの癖に、誇りとか言ってるやせ我慢ね。
「成る程、お辛いことでしょう」
 納得したような顔で適当に頷いてやると、理沙の方から手を握って来た。
「だろ! 聞いてくれよアイツがしようとしたことを! まず最初は村にある駅の名前を変えようって言ったんだけどな?」
「ふんふん」
「外国人にも分かるような名前にしようとか言い始めやがって、訳が分からねえ!」
 まあ確かに、鄙尾他ってのは外国人には読みづらいだろう。日本人でも二度見する自信がある。親父さんの言い分も私には少しわかる気がした。
「因みに何て名前に変えようと?」
「え、と……アス……何とかって」
「え? すまないけどもう一回――」
「だぁー! だから、ファッキングアスラスティックヴィレッジだよ!」
 ブホォ、と、突然のテロに私は思わず吹き出した。
 前言撤回。その村長、一体何を考えているんだ。ラスティックの時点でギリギリなのに、ファッキングアスと来たもんだ。外国人に“この村はクソ辺鄙など田舎の限界集落です”と宣伝したって誰も来やしまい。というか、鄙尾他村ってそのまんま辺鄙な村って意味かよ! もうちょっと捻れよ、星が奇麗とかさ! 潔すぎるだろ!
「いやはや……、思った以上ですね」
「ほんっと、英語3の私でも分かるっつうの。何考えてんだ……!」
 親父さんに必要なのは英語ではない、経営コンサルタントだ。話がややこしくなるので私は次に勧める事にした。
「……駅名の件は是非とも、貴方が英和辞典片手に止めてやってください。他には何か?」
「ああ、ある」
 理沙は腕組みして長椅子にふんぞり返った。よっぽど鬱憤が溜まっていたのだろう、私の事をまるで親父さんみたいに睨みつけるのは止めて欲しいが。
「2つ目はな、私の婚約を勝手に破棄したことだ」
 グッジョォォブ、親父! 突き上げかけた手を首に回し、私は苦笑する振りをしながら首を掻く。
 どうせ地元の一番喧嘩強い(当社比)みたいな先輩でも連れてきたんだろう。そりゃ断って当然だ。定職につかずブラブラしている未来しか見えないしな。やはり結婚するからには、私のような高みを目指す者でないと……
「おーい、おっさん。話聞いてるか?」
「ん? 失礼。それと私は牧師です。オッサンではありません。しっかし婚約の話は、私はどちらかと言うとお父上寄り、いや、中立の立場を取りたいのですが」
「ハァ? 何だよ味方してくれると思って話してたのに」
「神は皆の味方です。それに娘の結婚相手を慎重に選びたいお父上の考えはまっとうに思えますよ。地元のヤンキーと結婚するなんて、人生を棒に振るような――」
「ヤンキー? 何いってんだ? 私の相手はそんなんじゃねえよ」
「じゃあどんな?」
「引きこもりで30歳くらいの、ハゲでデブの丁度牧師さんみてえなオッサン」
「色々聞き捨てならねえぞ、オイ!」
 いきなり怒声を浴びせられ、一瞬面食らった様子の理沙に私はさらに捲し立てる。
「30歳は百歩譲って良いがハゲデブとはなんだ、ハゲデブとは! 良いんだよBMIは健康値だし髪も……まだ可能性はあるだろうが!」
「幻想にすがってっから何時までもハゲデブなんだろ! 牧師なら自分に厳しくいろよ!」
「良いんですか命の恩人にそんなこと言って?! こちとら神に仕える身だぞ? 神罰見せてやろうか!」
「うわ、ちいせえ! 言ってることもケツの穴もちいせえな! だからぼろ教会で寂しくお独り様やってんだよ!」
「お独り……うう」
 氷水を浴びせられたようなショックに私はひざから頽れた。
「止めろよ……止めろよ……一生独り身なんて……考えたくねえよぉ!」
「ア、アタシそこまで言ってない……元気だしなよ、私の婚約者より望みはあるよ」
「どうせ五十歩百歩だろうが!」
 もう嫌だコイツ。早く話を纏めて打ち切ろう。両の眼からとめどなく血涙を流しつつ椅子に腰かけ、私は手足を投げ出した状態で話を進めた。
「で? どうしてそのハゲデブオッサンと結婚したいの?」
「おっさんが良いわけじゃないけど……私が外の人間と結婚したら、都会に出なきゃならないだろ? あの村の子供が居なくなるんだ」
 ホントにコイツは生まれる時代を間違えたな。私はまだ意識の混濁した頭で適当に頷く。今どきこんな愛国、いや郷土愛に溢れた若人がいるもんかね……取り敢えず、適当に解決策を与えておくか。
「そうだな……もう……農学校の学生とかと結婚すれば良いんじゃないの? 都会生まれで田舎に憧れてって人もいるでしょ。どうせ外から血が入らないと村が行きづまるよ」
「ああ~、牧師さん頭いいな。じゃああのオッサンはどうでも良いや」
 グッバイ我が半身よ。一つの邪悪がこの世から払われるために、私が払った代償を誰が償ってくれるのだろう。目の前で能天気に笑っている小娘にぶちまけるのは……やっぱ駄目だよなぁ。
「いやぁ、ホントに全部解決しちゃったな。牧師さんすげえよ」
「お役に立てて何より……」
 話がようやく終わった事への安堵感に、燃え尽きた私は椅子の上で崩れる。嵐は去った、あとは至福のまどろみに任せてひと眠りでもすればよかったのだが……愚かな私は、最初から引っかかっていた疑問を、彼女にぶつけてみる事にしたのだ。
「……ところで一つ聞きたいんだが、どうしてそんな限界集落に固執するんだい? 君みたいな人ならどこへでもやって行けそうだが?」
 ちょっとした世間話のつもりでふったのだが、問いかけられた理沙の顔は思いのほか悲壮に沈んでいた。
「あ、良いんだ。無理して言わなくて、ただの世間話――」
「いや! ……聞いてくれ」
 これまでない程の真剣な目で見つけ返す彼女に、私もつい居住まいを正して話を聞く態勢を整えた。
「その、な……アタシの家って、物心ついた時には母さんが居なくってさ。叔母さんがアタシの母親代わりだったんだ。他に子供なんて禄に居ないし、年の近い叔母さんだけがアタシの話し相手だった」
「もしかして、叔母さんは今はもう……」
「うん……いない。親父と反りが合わなくなって」
 短い言葉が、余計に真に迫る。この娘には随分な目に遭わされたが、私は図らずも彼女への反撃が成功したことを悔いた。雨宿りの、偶然の道連れが聞いてよい話であるとは思えなかった。
「思い出の品なんかも親父が全部捨てちゃったし、アタシにはあの村くらいしか無いんだ」
 理沙がそう言った時、私は思わず両の拳を握り締めていた。
「それは……違う」
「……牧師さん?」
「君の叔母さんは、そんなこと望んじゃいないよ。何もない村に縛られて、思い出のためだけに消費される人生なんて、絶対に……!」
「自信たっぷりに言われても、ただの直観っしょ?」
「自信ではない、事実だ。君とは一悶着あったが良い人であることは間違いないし、君が慕うというなら、叔母さんも君の人柄に見合うだけの人物に違いない。そんな人間が、娘同然の子供が苦しんでいるのを容認すると思うか?」
「……」
「思い出は美しい。だが心を奪われても思い出には何もない。人間は心の中の物には決して触れえないからだ」
「でも……思い出が駄目なら……アタシはどうすれば」
「思い出には触れられないが君の所有物だ。いつだって傍にいる……君が未来を切り開くために」
 理沙は急に浮足立った様子で、肩を強張らせて明らかな動揺を示した。此処だ、私の直観が告げる。本当の自分、願いを、彼女は知らなくてはならない。
 やや間を開けて、私は熱の入った口調から落ち着いた口振りに変える。
「……叔母さんの居所、分かるかい?」
「実は、この町に住んでるらしいんだけど……」
「じゃあ丁度いい。助けてもらえないかどうか頼んでみると良い」
「それは! ……叔母さんに迷惑がかかるし……」
 見た目の割に度胸がないな。私は得意のアルカイックスマイルで一押しをかけた。
「貴方の“お母さん”なのでしょう? きっと力になってくれます」
「……うん」
 彼女が控えめに頷いたのを見て、私はやっと肩の荷を下ろすことが出来た。これだから時間外労働ってやつは、我が主には是非とも、銀貨と言わず金貨での支払いをお願いしたい。
「ああ~、疲れた。迷える女子高生も救ったことだし、今日はもう何も考えずにベッドで眠るとしよう」
「本当に、迷惑かけたね牧師さん。落ち着いたらお礼するよ」
「お礼……ハハ、では壁を直す釘代を是非。それと、忘れないで。鄙尾他村は叔母さんの愛した村かも知れませんが、そこに叔母さんはいません」
「へ? 愛した?」
 おおっと? また雲行きが怪しいぞ?
 正直打ち切りたい、もう止めにしたい。なのに私は、首を突っ込まずには安眠出来ない。そんな気がして聞き返してしまった。
「その、理沙さん? ……叔母さんの愛する、思い出の詰まった村だから守りたいのでは?」
「いや。叔母さん村の偏屈ジジババ共にもいじめられてたから、あの村大っ嫌いだけど」
 全く話がかみ合わねえぞ! 不思議そうに首を傾げる理沙に、私は思わず瞠目する。
「いやいやいや、よく考えてみ? 叔母さんが好きだったものを守るならまだしも、大っ嫌いって……思い出の為とは言え、君ももうちょい悲壮感があっていいもんじゃない?」
「で、でも……叔母さんの事を思い出すとアタシ……」
 言葉を濁す理沙が顔を赤らめもじもじするのを見て、私の中を怖気が走る。
「小さい頃から何だけど……アタシ、叔母さんがいじめられて泣いているところを見ると、体が疼くっていうか……いや、はっきり言うよ。興奮する」
「……」
「牧師さんに言われて分かったよ、自分の想いに正直になっていいんだって。思い出なんかじゃ駄目だ、生きているんだから本物を手に入れないと! 待ってて叔母さん。いや、もう誰かいたとしても関係ないけどね……って、どしたの牧師さん?」
「こ、この……」
「この?」
「この……サイコ野郎ォ!」

 それからは盛り上がる理沙を無視して、私は酷く疲れた体をベッドの中に沈めた。理沙は朝起きたら居なくなっていた。
 数日後、住所を言った覚えはないが理沙からの手紙が、お礼の釘代と写真を同封して届けられた。結局彼女は村を見捨て、叔母さんの家に上がり込んだらしい。一緒に同封されている写真には理沙と叔母さんのツーショットが映っていて、叔母さんは物静かな確かにいじめられそうなタイプの美人だった。
 ……それでも首についたチョーカーは、叔母さん自身の趣味だと信じたい。神に仕える者として。
 私の教会は何処で噂が経ったのか、性別を超えた愛の成就にご利益があるという、なんともニッチな需要によって繁盛している。だから女性も来るが全員が男に興味が無いため、私は血涙を流しつつカップルの成立を見守っている……最後に言いたい事が一つ。
 我が主よ違う、そうじゃない。

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