「視聴者撮影」の映像と撮影者の安全
台風や、豪雨、そして地震、今回の噴火(2015口永良部島噴火。最初にこの記事を書いたのは実は2015年です)に至るまで、テレビや動画サイトでは非常に緊迫感のある「視聴者撮影」の動画が飛び交っている気がします。
それを見ながら「危ない~っ」「早く逃げろ~っ」「そんなことしてる場合じゃないだろ~っ」と画面に突っ込んだり突っ込まなかったりしていたのですが、もちろん危険に飛び込みたくなる若気の至りや武勇伝への挑戦など、いわゆる無謀行為は、いかに時代が進もうとも拭い去れるものではないと確信しております。
が、やはりこのような無謀な行為はできるだけやめていただきたいと思いつつ、いつも漠然とした不安というか違和感を感じていたものです。
はたしてこれは若気の至りや武勇伝を求めるような行為そのものなのでしょうか?
以前は無謀行為の中に撮影というプロセスはあまり見なかった気がするのですが、最近は(SNSなどでの)「発信を動機とする撮影」が大きいウェイトを占めているように感じられます。
そんな状況で撮影された映像をテレビなどで使うのは、動画や写真が持つ、テキストと比較して圧倒的に大きな情報量を考えれば、番組制作側として至極当然の判断ともみえますが、ちょっと待ってよと・・・。
結果的に撮影者が無事に戻っているからこそ使われるのではありましょうが、その人が撮影という行為が原因で受傷したらどうするんですかと・・・。
まあ、撮影者は頼まれているわけでもなんでもないので、おそらく自己責任の一言で片づくでしょうし、下手すれば受傷したこと自体も動画の話題性や緊迫感を高める要素になりかねないのですが。
SNSなどで情報発信のハードルが著しく下がった現在。事故、天災、などなど「なにかあったらまず撮影」な行動パターンが常態化してきています。
そこにもってきて公共性の高いメディアでその動画が使われれば、それはもう立派な「撮影行為の動機の強化」ではないでしょうか。
ただでさえカメラを通すと現実味(危機感)が薄れたりするバイアスがかかることはありますし、それこそマスコミの方はそれをよくわかっていると思います。危険のない状況での撮影であれば、ここで論ずる話とは全く異なりますが、生命がかかわる場であれば、撮影が優先することはありえません。その、「撮影を動機とする(無意識の)危険の請け負い」ともいえる感覚を視聴者(一般市民)に譲り渡さないでほしいのです。
今の段階では、倫理的に問題があるというわけでもないでしょうし、とりようによっては言いがかりともとれるでしょう。
それでも、メディアの皆さん。撮影者に危険が伴うと判断されるものについて、安易に視聴者映像を使うのやめてみませんか?
まだ、撮影に起因するような受傷というのは公式に確認できておりませんが、今後、より危険な方向へシフトしていく可能性は十分にあると考えます。
災害や事故による被害をすこしでも減らすことを、マスコミの皆様もきちんと考えるのであれば、
「我々は災害時に視聴者が危険と思われる状況で撮影した映像や画像を使用しません」
みたいな毅然とした対応、ガイドラインの設定など、放送に関わるプロフェッショナルとして、より高い志をもってやっていただけるとよいなと・・・。
追記
映像そのものがもつ真実、記録としての価値を否定するものではありません。
また、撮影者は「この稀有な事象を記録しなくちゃ、という社会的責任感」から行動したのかもしれません。
そして、無事に持ち帰ることができれば、その撮影データは社会的な財産ともなりえます。
科学的な検証や、事象の深刻さを多くの人に伝える貴重な資料であることも事実です。
そうであるからこそ、それよりも命が大切であるということをそれぞれがしっかりと肝に銘じ、報道関係者は興味本位になりかねないような使い方をして欲しくないと思うのです。
やはり記録よりもなによりも、まずは命が大切だと思うのです。
さらに追記
同じようなことを考え、先にしっかりと発信されている方がいらっしゃいました。シンプルかつ的確に発信されています。
http://www.jgnn.net/ls/2015/05/post-11202.html
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この元記事は2015年に口永良部島が噴火したときに個人サイト「あんぜんにそとであそぼう」に書いたものです。
先日の群馬白根山の噴火を受け、この記事を思いだしまして・・・。白根山の事案ではあまりに近い場所での発生だったり、屋外に出られないとか、動けない状況だったり、不用意に行動することが事態の悪化を招く状況もあったので必ずしも「そんなことしてないで逃げろ!」とは、また違う状況もありそうです。
あるいは、動けない状況での覚悟を伴う記録であったり、撮影という行動をすることによる心理的な逃避(回避)行動だったり、可能性ではありますが「撮影という行動」に違う意味を感じる面もありました。
とは言いつつ、いろいろな映像媒体を見ながら、やはり
「なにはともあれ、まず自分の安全ありき!」
「撮影に命を懸ける必要などない!」
ということに間違いないし、根本は全然変わってないよねと、noteでも書いてみました。