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遠くない未来、もしかすると『わたしを離さないで』

こんにちは、石川由弥子(ゆみこ)です。

私には忘れられない映画があります。自分の中で消化できず、見終わった後に元彼と分かち合いたかったのですが、やんわりと断られた作品。(なんでや…) それが今日ご紹介する作品です。

映画化・ドラマ化もされたカズオ・イシグロさんの小説『わたしを離さないで』をご紹介します。

※このレビューはネタバレを含みます。読む予定がある方はこれから先を読まないことをおすすめします※

『わたしを離さないで』のあらすじ

優秀な介護人キャシー・Hは「提供者」と呼ばれる人々の世話をしている。生まれ育った施設へールシャムの親友トミーやルースも「提供者」だった。キャシーは施設での奇妙な日々に思いをめぐらす。図画工作に力を入れた授業、毎週の健康診断、保護官と呼ばれる教師たちのぎこちない態度……。彼女の回想はヘールシャムの残酷な真実を明かしていく。

『わたしを離さないで』のおすすめポイント

本作は、主人公のキャシー・Hが、彼女の幼少期にヘールシャムで育った日々を振り返る回想の形で話がすすみます。ヘールシャムの生徒たちは漏れなく、「臓器提供のために生み出されたクローン」。誰しもが自分のための生を全うしている一方で、生徒たちの命は誰かのためのもの。本作のポイントをご紹介します。

閉鎖空間での束の間の青春

ヘールシャムは全寮制の学校で、全生徒たちは外の世界と触れることなく生活をしています。保護官に監視され、規則正しい生活をしながら、さながら義務教育を受けている子どもたちと同じように、絵を描いたり、詩を作ったり、彫刻したり。優れた作品はマダムが回収し、外部の展示会に出されるという噂がありました。そんな閉鎖空間の中でも、子どもたちは恋をしたり、友情を培ったり、私たちが経験するようなことを経験するのです。自分が将来、誰かのために臓器提供をすることになろうとはつゆとも思わずに。

たった1つの希望にも縋りたい

16歳になるとヘールシャムを出て、生徒たちはいくつかの場所に移動します。保護官のいない状態で集団生活を行い、ここでも生徒たちは恋をしたり、セックスをしたり、束の間の自由を楽しむのです。しかし、当然のことながら、提供者であるという事実は変わりません

「クローンであっても心はある」「愛し合っていることが証明できれば提供は免れる」という噂を聞き、トミーとキャシーは外部からヘールシャムに来ていたマダムのところを訪れますが…。

誰かのための「命」

私たちは何の曇りもなく、自分の命は自分のためだと言えます。小学生の頃の私は、今月の「りぼん」の発売日を楽しみにしたり、友達とお人形遊びをすることが大好きだったり、将来に対して何の不安もない子どもだったと思います。これからどんな未来が待っているのか、ただただ楽しみだった私と比較して、ヘールシャムの生徒たちは自分の命の使い道が決まっている。この世界において、命は平等は嘘。大人になることなく、誰かのために生きていなければならない生徒たちは一体何のために絵画を学び、友情を培い、恋をするのか。

残酷な世界でも生きていく

私は、映画も小説も両方見たのですが、原作は心情と思考の過程が見える分、見る側が受け取る情報が多くて辛かったのを覚えています。

何者にもなれずに命を終えていく子どもたちの存在は、ただ生きながらえたいと願う人のためのもの。提供する側とされる側に大きな違いなんてないかもしれないのに、そこには埋めることのできない大きな隔たりがあります。

唯一よかったなと思うことは、提供される側が提供者の暮らしぶりを知らないことだと思います。知っていたら提供を求められないよな、と思います。

クローン技術は少しずつ実用の道を辿っていると聞きます。本作のような世界になることもありえなくはなくなった時、自分だったら自分のクローンを求められるだろうか。長く生きていたいという気持ちと、その代わりにクローンに辛い思いをさせるかもしれないという事実。答えは出ない問いを、私は受け取ってしまいました。

みなさんだったら、どうしますか?

ではまた〜

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