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私たちは天才にはなれない『蜜蜂と遠雷』
こんにちは、石川由弥子(ゆみこ)です。
みなさん、小さい頃は習い事をしていましたか?
私は、幼稚園の頃からピアノを習っていました。今思うと自分で選んだ記憶はなく、幼稚園教諭だった母の希望だったなと思います。言われるがままに始めたピアノでしたが、結局中学卒業まで続け、私の人生に音楽はなくてはならないものになっていました。
今回は、音楽にまつわる作品を。直木賞と本屋大賞をW受賞し、映画化もされた、恩田陸さんの小説『蜜蜂と遠雷』をご紹介します。
こんな人におすすめ
何かに打ち込んだ経験がある方 / 泥臭い努力をしてきた方/ 今何かを頑張ろうとしている方 / 音楽が好きな方
『蜜蜂と遠雷』のあらすじ
3年ごとに開催される国際ピアノコンクールを舞台に、4人の天才に光をあてた青春群像劇。ホフマンの愛弟子にも関わらず、自宅にピアノを持たない16歳の少年・風間塵。天才少女として一躍有名になったが母の死をきっかけにピアノが弾けなくなった元天才・20歳の栄伝亜夜。音大出身だが今は楽器店勤務のサラリーマンをやっている28歳・高島明石。そして、名門音楽大院に通う優勝候補の19歳・マサル・C・レヴィ=アナトール。天才たちによる、競争という名の自らとの闘い。激戦を勝ち抜き、優勝を手にするのは…?
『蜜蜂と遠雷』のおすすめポイント
本作を読んだ方の中には「読んでいる間、音楽が鳴り止まない」という感想を見た人もいるかと思いますが、私もこの作品を読んでいる最中は音楽が流れて続けていました。どこまでも広がる情景や豊かな音楽が鳴り止まない本作の、おすすめポイントを2つご紹介します。
「プロ」を目指す険しさ
音楽の世界で飯を食う「プロ」になることがいかに大変か、例えプロになれたとしても続けていくことの大変なのか。私たちはその厳しさの一端をこの作品を通して知るのです。
技術は最低限の条件に過ぎない。音楽家になれる保証などどこにもない。運よくプロとしてデビューしても、続けられるとは限らない。
クラシックという優雅に見える世界の裏側は、地味な練習の積み重ねと楽器代やレッスン代など惜しみないお金の投資、そして運の上に成り立っているのです。現実世界でも、音楽の世界が厳しい世界だと知っていてもスポットライトを浴びる日を夢見て、音楽と向き合い続けている人々がいるのだと思うと、頭が上がりません。なれるかわからないプロを目指し、日夜問わず努力できることはすでに才能なのではないでしょうか。
「天才」の領域
音楽という才能がものをいう世界はとてもシビア。「天才」と呼ばれる人がゴロゴロいます。登場人物の4人の中で、塵と亜夜が音楽を感覚で捉え表現できるタイプの天才なのですが、2人はコンクールの演奏中でさえ、音楽を通じて会話し、影響を受け合っています。
天才は、おのれと同等と認めた存在にしか影響されない。天才どうしでなければ分かり合えないものがあるのだ。
一方、天才とまではいかないものの音楽家としての未来を嘱望されていた明石は、本物の天才との格の違いをまざまざと見せつけられます。それも絶望するほどに。
「無類の凡人たち、それでも音楽の世界の住人でいたいと切望する凡人の僻みであることは分かっているのだ。」
もちろん、天才は天才ならではの苦悩はありますが、その苦悩は凡人とは次元の違う悩み。天才は何者にもなれなかった私たちとは遠い存在であり、だからこそ才能をもたない私たちはその才能に惹きつけられるのです。
「努力」は誰にでもできる才能
この作品は、塵や亜夜、マサルのような圧倒的な才能はなく、何者にもなれなかった私のような普通の人にこそ読んで欲しい作品です。正直、天才たちの感覚は100%理解できていないかもしれないし、天才と凡人の違いの差にショックを受けるかもしれません。(その実、私はしばらく落ち込んだ)
しかし、ピアノから離れ、サラリーマンとして働きながらもコンクール出場を果たした明石のように、どんな状況・環境であっても情熱があれば努力することはできます。「天才」にはなれないが、「努力の天才」にはきっとなれる。
この本を読んで、どうせ人生は一度きりなのだから、天才を羨むより自分が努力の天才になろうと決めたのでした。
では、また〜