見出し画像

2023.09.20(母の違和感)

何度も振り返って考える。
どうして母はあんなに周りに批判されていたのだろうかと。

正直、やることが多すぎた。
家事、育児、姑の店の手伝いまで。

父は何も手伝わず、母のことを「何もできていない」と否定。
自分は何もやっていないのにね!
母は父、祖母、周りの大人達からも散々「できていない」と言われていたが、本当にそうか?と今なら思う。

いや、できていないことも多々あったが、そもそもそれを父が気づいていたのなら父もやればよかったじゃないか。
なぜ傍観だけして評論だけしている?
自分の家庭なのにね!

子どもも手伝いを強要されていたり、担当を割り振られ対応しながら、なぜ家事は母の仕事なのにやらなきゃいけないんだと不満を持っていた。

家事=母の仕事っていつの時代の考え?
祖母や父にそう植え付けられていたな。

そんなことよりだ。
なぜ母は、実際にやっていた内容よりも過小評価されていたのだろう?

「できていない」「もっともっと」と要求され、そのストレスと子どもをいじめていたのなら、悪いのは父や祖母や周りの大人達のせいではないかと思ったりする。

だから何で過小評価?
家事や子育てに完璧と言える状態なんてない。
できていない部分を探そうと思えばいくらでも探せる。
埃なんて一日でたまるから、本当にキリが無い。

母はどうだったら、「ちゃんとやっている」と言われたんだろう?
母が自分を責めたり追い詰めたりしなければよかったのか?
自分でダメ出しをして自分を追い詰め、イライラピリピリしていたから周りまで反応していたのではないか?

それはある。
でもそれよりも、母はどこかでずっと客状態だったのではないか?
家事も子育ても祖母の店の切り盛りもすべて他人事というか。
だから、周りから見ても違和感を感じたのではないか?
自分がやるという意識が少ない。
覚悟が足りないというのか、ずっと逃げ腰?
どこか自分の仕事ではないと思いながらやっている?
それに違和感を感じ、やっているのにやっていないみたいに見えてしまっていたのだろうか……?

ここから先は

0字

2023.07.31〜2023.10.10の記録です。

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?