2023.11.03(無理しない)
頭の中が整理できなくて、文章も書けない2日だった。そういうときはむしろ、書いて整理すればいいじゃないかとも思ったのだが、自分が今考えていることや感じていることを外に出すその行為がしんどいと感じてしまい、2日お休みさせてもらっていた。自分が考えていることや感じていることを、外に出さずにいることで、自分を支えていたみたいな感覚だった。
この2日間ぐらいで気づいたのだが、私は自分と関わることになった人のことは好きにならなければと無意識で思っていたようだ。自分がどう思っているかは一旦横に置いておき、とにかく相手のことをいい人だと思い込んで好きになろうとしていたという不自然さ。相手のことが苦手だなとか、嫌だなと思っているくせに、そういった自分の気持ちをないがしろにして相手のことを好きにならねばと変な強迫観念みたいなものに追い立てられていた。本当は嫌なのに、無理な補正を掛けて頑張って相手を好きになって関わろうとしていたというか。何でそんなことをしていたのかはわからないし、何でそんなに自分に我慢を強いていたのかも不明。いや、子ども時代の癖か。無理して親のことを好きになろうとしていたときの後遺症? どこまで自分を歪めて相手を受け入れようとしていたんだという話だが。でもそれは終わった時代の話。大人になってから、そんな方法で関わられても相手も困るよなと思う。相手だって、自分の気持ちに嘘をついて関わろうとされていることぐらいわかるだろうに。そんなことを無意識でしていた自分に驚いた。だからもう、そうやって無理に相手を好きになろうとするのはやめようと思った。だいたい人と仲良くなるときは、そんなことをしなくても勝手に仲良くなるものだしね。
あと、その流れで思ったのが、親子でも人としては合う合わないはあるだろうということ。自分の子どもだとしても、人として合う合わないは絶対にあるだろう。だから、親ならば自分の子どもは100%愛せるというのは無理なんじゃないかと。子ども側でも、「親の性格は無理」と思うのに、親には子どもを100%で愛すべきを求めるのは厚かましいなと思った。そういう意味では、私は親に甘えていたのだろうと少し反省。自分の子どもであっても性格が合わないはあるのは仕方ない。それにしても、何で子どもは、自分は親から100%愛されるのが当然だと思ってしまっているのだろうね。
まあ、合う合わないはあるのだから、無理して自分と関わる人のことを好きにならねばと思うのはもうやめよう。