[4本目]下北沢に居着いた決定的な出来事は、BOaTというバンドとの出会い
下北沢とのゆるーい感じの関わりは書いてきましたが、決定的な出来事があったのです。それは、BOaTというバンドとの出会い。
A.S.E、坂井キヨオシ、マユコ、シオリ、そしてアインの5人による、なんだかよくわからないけど多国籍感満載なポップバンド、ある意味パンキッシュだったなぁ。就職して東京に来て暗黒みたいな生活を送っている中、確実に私に「光」を与えてくれたバンドです。それまでもたくさんのバンドのことを好きになってライブを観たけど、BOaTは確実に違う存在だった。ライブが終わった後の下北沢Queの前で飲みまくった記憶は、その回数があまりに多すぎて逆に全然覚えていないくらい。なんだろな、とにかくこのバンドについてはCDを聞いて熱くなって、ライブを観て熱くなって、一緒に酒を飲んで熱くなった唯一無二の存在でした。
テクニカル的(?)には男女ツインボーカルのバンドのことが潜在的に好きだったんだけど、まあ、なんというか全員ボーカルみたいな感じで、みんなに見せ場があって全員フロントマンだったバンド。ライブは渋谷も多かったけど下北沢も多かった、飛躍的に下北沢に来る機会が増えて、格段に下北沢で泥酔する機会が増えてた。結果的に、下北沢という街にディープにはまりはじめてた。気づいたら路上で寝てたり、建物と建物の間の隙間で寝てたり、駅前の植え込みで寝てたり、、、ディープとか超越してるやないかーーー。
高校・大学と7年間写真系のサークルに入っていたので、写真を撮ったりもしたけど、今とは比べものにならないくらい訳の分からない写真ばかりだな。演劇は大学の4年間撮ってたから、なんとなくいけるんじゃないかとか思ってたけど、演劇とライブじゃそもそもの考え方が全然違ってた。まあ、そもそもこの時代はフィルムで現像するまでどんな写真が撮れてるのかさっぱり分からなかったからなぁ。
就職した会社はこれ以上続けるとヤバいと思い1年半で辞め、その後、編プロに入って引き続きブラックな環境で働いていた。まあ、ブラックの種類が違ってて、超楽しかったけどね。でもって、BOaTのライブはほぼ全部通ってたんじゃないかな。で、その編プロから独立してフリーランスとして自宅で仕事を始める。でも、週に2・3回とか下北沢に来てるうちに、もう、下北沢に引っ越してきた方がいいんじゃね? と思って、下北沢駅から徒歩15分という下北沢なんだか下北沢じゃないんだか分からない場所に引っ越してきてしまう。最初は自宅を事務所にしてたけど、色々無理になってきてCLUB Queまで徒歩30秒の場所に事務所を借りることになった。でも、その矢先に、しおりさんマユコさん坂井さんの3人がBOaTから卒業することになる。卒業ってなんやねん。
いやー、卒業ライブはヤバかった。マジでCLUB Que至上一番人が入ったんじゃないかな。ツーマンライブで相手はClingon、たぶんClingonのお客さんめっちゃビビったと思う。Clingonが先で、BOaTが後だったんだけど、全然入りきれなくてなぜかビークルのヒダカさんが「もっとつめてくれーー」とかステージで叫びつつ、ウォティパティとか無理矢理歌ってた。曲たくさんやったよなー、聴きたい曲は全部やってくれたよなー。今でもハッキリ覚えているのは最後にやった曲は『サンキューグッバイ』なんだけど、この曲のイントロがはじまった瞬間にみんなが「この曲はやるなーーー! やめろーー!!」とか野次ってて、まあ俺も全力で野次ってたけど、この曲が5人最後にやる曲になることをみんな分かっていたからなんだよね。最後に相応しいめっちゃ名曲なんだけど、もうなんかボロボロ泣いてた気がする。今でも人生最高のライブで変わらない、BOaTは自分の青春そのものでした。ちなみに、これが第一期ライブハウス通いまくり期の終焉でもありました。
というわけでBOaTは終了したけど(ASEさんとアインちゃんがNATSUMENをはじめてたけど)、俺は引き続き下北沢で仕事をすることになったのです。
このお金は全額球磨焼酎購入に使われます。ガンバレ、球磨地方!