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『あれが症状だったのか⁉ケニア編』~その前にKENYA2011~

hello! 夢kerAkko☆です。

32歳で遅延型食物アレルギーになったわたしが、

まえより健康になった10年間のはなし。

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さて、今日からは再びアレルギーと気づいていない頃の《前兆のはなし》に戻ります。30歳になったことから2年間の話までで終わっていましたね。

今日からは、シリーズで~あれが症状だったのか⁉ケニア編~です。

ですが今日は~その前にKENYA2011~です。

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いきなり、日本からアフリカの話になので、
2011年、32歳、ケニアに渡った話に
少しふれておきます。

ちょうど10年前の今です。6月、私は、ケニアに旅立ちました。支援団体に所属し、主に保健と幼稚園教育の支援が担当でした。半年間、土日のみ同じ活動をする団体の仲間とナイロビ市内に戻り、それ以外は車でナイロビから3時間以上かかるソマリアの国境に近い小さな村々で支援活動をして暮らしていました。

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これは、東日本大震災の数ヵ月後のはなしです。

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わたしは、アフリカで支援活動をしたいという小学生からの想いを胸に、10年務めた会社の退職を決めました。2011年3月、退職まで残り1週間、という時に震災が起きました。大きな揺れは今でもはっきり覚えています。そのため退職が少し伸び、3月下旬まで仕事をしました。震災前は、一人旅をして少し息抜きした後に国際協力の試験に専念しようと思っていましたが、すぐに国際協力の就活に入りました。

なぜなら、震災で事態が急変したからです。大変なことが起きたすぐ。国際協力の機関の試験はすべてストップし、いつ再開するかもわかりませんでした。

日本がこんな時にという迷いもありましたが、支援の手も変わらず必要であると思い、アフリカに行けるチャンスを探し続けました。

その間、体重を増やすことは考えず、普通の和食に戻していました。今考えるとその影響なのか、その頃は痛みも少し落ち着き、体調も安定していました。

そんな時に、ケニアで教育・保健衛生・建設等の活動をする団体を見つけ、たまたま、私がもともと行きたかった機関の活動のプロジェクトの一環だったこともあり、「これしかない!」と思いました。

念願叶い試験に合格、無事アフリカの切符を手にしたのです。

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そして、そこから半年間の
アフリカでの生活が始まったのです。

明日からは、ケニアでの体調の異変、今はわかる生活と食事がもたらした変化などについて、シリーズでお伝えしていきます。

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最後までお読みいただきありがとうございました。

夢kerAkko☆



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AKKO|アレルギー備蓄食研究家🌈ポレポレ式★ゆる~くほどほど無添加生活˙ᴥ˙
生きるために、食べられるものを食べる。 食の大切さを身をもって感じた私が書く記事があなたにとって 参考になった!試してみたい!それ、共感!いいね! と思われた方、ぜひサポートお願い致します。励みになります これからも夢に向かって歩き、役立つ記事をお届けできるよう創作を続けます☆