共感工房 “経営の本質をついている”
◆ 久しぶりに、本質を突いた的を射た本にであいました。
~~< 以下 引用 >~~ ■ なぜ日本はここまで「衰退」してしまったのか…「大事なこと」を忘れた国の「厳しい現実」 ⇒ https://is.gd/022r26 ■
わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。
◎経営ってなんだろう
結論を先取りすれば、本来の経営は「価値創造(=他者と自分を同時に幸せにすること)という究極の目的に向かい、中間目標と手段の本質・意義・有効性を問い直し、究極の目的の実現を妨げる対立を解消して、豊かな共同体を創り上げること」だ。
この経営概念の下では誰もが人生を経営する当事者となる。
幸せを求めない人間も、生まれてから死ぬまで一切他者と関わらない人間も存在しないからだ。他者から何かを奪って自分だけが幸せになることも、自分を疲弊させながら他者のために生きるのも、どちらも間違いである。「倫」理的な間違いではなく「論」理的な間違いだ。〉
『世界は経営でできている』では、こうした意味での「経営」が世の中に不足していることを一貫して指摘する。
だから、人生に不条理と不合理がもたらされ続けてしまうし、個人も社会も豊かになれないというのだ。
◎「あらゆるものは創造できる」という視点
人生のさまざまな場面において、経営の欠如は、目的と手段の転倒、手段の過大化、手段による目的の阻害……など数多くの陥穽をもたらす。
その理由は、「あらゆるものは創造できる」という視点をもたないと、単なる手段であるはずのものが希少に思えてしまい、手段に振り回されるからである。
日本において本来の経営が急速に失われたのも、平成時代の円高とデフレによって、ただの手段のはずの金銭の価値が高まり、金銭という手段に振り回され、目的であるはずの人間の共同体をなおざりにしたからだ。
経営を忘れた社会が発展するはずもない。その結果、不況がさらに価値有限思考を強めるという負の連鎖から抜け出せなくなってしまっていた。
だが、令和時代は、円安とインフレという高度経済成長期型の経済に戻りつつある。「金銭よりも人材の不足が経営に危機をもたらす」という実感も広がっている。経営概念の再転換はまさに今日的課題だ。
◆ 科学的な学術書ではないのに、的を射ていると思いました。
私は、ここ20年ほどは本を買っていないし、直接自分で本を読むこともない。
私が最後に買った本は、20年前に買った“養老孟司”氏の“バカの壁”でした。“世界は経営でできている”は、それ以来の感動した本でした。[ #世界は経営でできている ]
最近は、私にとっての本の利用価値は大きく下がりました。新聞なども同じ。なので、私は、本や新聞を自分で買うことはなくなったのです。
それに、自分の考えなどを本に書いて出版しても、大した新しい価値は生まない。その類のことは、みんな、ネットで済ませているのです。私も、そのひとり。
でも、私は、ネットで通信社の配信ニュースやコラムなどは注意深く見ています。世間にどんなことが話題になっているか、何が好まれているかなどは気になるのです。
ちなみに、私の会社が行動理念として掲げているのは“知の共創”ということ。“知”だけは、みんなで一緒になって作り上げていくしかないのです。[ #知の共創 ]