誰もいない?いいえ、いるんですよ。
前記事に「絵の中に人がいない理由」を後で書きますと言った続きです。
この記事を描いている段階では私の風景画に人間が描かれている作品はありません。今後は出てくるかもしれませんが、まあそれはそれで。
人がいない理由は前記事に書いた「興味がないから」というのもありますけど、しっかりした理由もあるんですよ。
作品に対してのテーマ
一部の作品を除いて私が描く風景画には共通した
「ヒトを描かずして人を描く」
という何ともトンチのようなテーマに沿っています。
これは「絵の中には人の姿はない、ただし人の痕跡はある。」ということ。
自然を描くことが多いですが、森や川、海などの自然物だけだと空想の世界なのか現実の風景なのかという選択肢が出てきてしうかもしれない。
そこで人工物を描くことで難しく考えることなく現実世界の絵なのだと鑑賞者に認知してもらうことができます。
人工物の量はその都度変わりますが、「自然美」を前面に出したいので主張しない程度に抑えることが多いですね。
こうして、「人の存在を匂わせる」ことで作品の世界観を定着させている訳ですが、それだけでは「人を描く」ということにはなりませんね。
では次の段階。
描かれていない人は誰?
例となる作品を一枚出してみましょう。
絵の中には誰も描かれていない、でも遠くに家の明かりがある。
近くには田んぼ、道路とガードレール、左の方には電柱も並んでいる。
これだけで、「時代はちょっと昔~現代、田舎の田植え頃の田園風景」と、ざっくりこれだけの情報は読み取れます。
そして家の明かりが見えることで、あそこでは「人が生活しているんだろう」という人の気配を感じ取れます。
さて、先の項で書いた通りここまでに人はまだ作品に登場していません。
ではどこにいるのか。
ここに至るまで絵の中に描かれているものをよく見て、色々なものを感じ取った方、そして描かれた気配、空気、温度まで感じとることができた方。意識が絵の世界に入り込んでいませんでしたか?
そう。私がえがく人、それは鑑賞者である「あなた」なのです。
これを踏まえてもう一度先程の絵を眺めてみてください。
絵の風景の手前にその世界を眺めるあなたの後頭部が見えませんかね?
まぁそこまで言うと大げさですが、絵の中のものを客観的に眺めている自分を感じてもらえたら私の「人を描く」目論見は成功です。
以前Twitterで漫画家の先生が
「自分は読者に半分のチケットを渡す、読者は残り半分のチケットを持っている。二つ合わせることではじめて作品が完成する」
というツイートをしてらしたんですが、
「作者は完全ではなく考える余地のある物を提供し、見る側が各々の解釈で作品を見ることでたった一つの作品となる」
という風に私は解釈しました。
私が人の描かれていない不完全な絵を提供し、
あなたが描かれていない自分を感じて補う。
なんか難しいですけど、何となくわかってもらえればそれでいいです(笑)
絵の中に描かれている主人公は鑑賞者であるあなたです、ってことで次回はもう一つ絵の中に描かないものの話をしようと思います。
ではまた。