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母の日の失敗
今日は母の日。今年の気持ちは「ふーん」である。
そんな今日の夜、布団に入り息子が「ぼくをここまで育ててくれてありがとう。悪いことばかりしてごめんなさっ…いっ…うっ」と泣き出した。何が起きたとですか。
振り返れば、ここのところ元気がなく、生きる欲ともいえる趣味にすら関心を示さず「こりゃまずい」と思った。少しでも元気になるようにとGW中は息子が以前興味を示したところへ出かけた。これが効いたようで、元気になった。
元気になって、やりたいことが溢れ暴走気味になり、やるべきことがなかなかできなかった。今までの習慣も声かけも効かず、一緒に取り組むことを拒絶し、どうしたものかと思った。そして、わたしは時間の経過とともに苛立ちが増した。
寝る数十分前の声かけで宿題や時間割などをしていないと今までの説明を覆し(していたものもあったが説明の30%であった)、かつ宿題に必要な物はわたしでないと用意できない物で、一緒に取り組むことを拒絶しといて「だってママが」と。大きな子どものわたしは腹が立った。「ふざけるな」とは言わなかったものの苛立ちを隠せなかった。
その結果、息子は”できなかったこと”が集まって”悪いことばかり”と思ったらしい。悪いことばかりする悪い子で存在してはいけない子と思い泣いていたようだ。悪い子なんていないのに。(嘘など悪い言動はあると思う)
たしかになかなかできなかったが、今までであったらできなかったことができたこともあった。苛立って”できなかったこと”ばかりに目がいって、この休日はそれらについての声かけばかりだった。暴走気味になるほど元気になったことや”できたこと”を見つけても”できていないこと”が目につき瞬時に消えた。
できなかったことは息子が自立したときにそれなりにできるようにするためのヒントで、息子の存在を否定するためにあるのではない。
ああ、やってしまった、しかも母の日に。息子よ、ごめんなさい。元気になってほしくて笑顔をみたかったのに、失敗だ。
できないことがあっても、できないことが増えても、生きてていいんだよ。自分を大切に生き抜いて。そう、子どもと大きな子どもに伝えたい。