この先、いつか地球は割れるかも。
もうすぐ大学院の後期が始まる、あっという間の夏だった。平成最後の夏。そんな夏。結構暑くて結構長かった気もするが、今は寒い。秋ってこんなだったか。台風が来ている。雨が降って、地震が来て、あっちもこっちも大変で、毎年こんなだったかなって思い出すけど、やっぱり毎年今世紀最大とか、今までになかったようなことが毎年更新されているように感じる。
この先、いつか地球は割れるかも。
その頃にはもう死んでるだろうけど、ここ最近腰を痛めて、それがなんかジリジリと自分のことを痛めつけていて、今も骨盤矯正ベルトを腰にしながら、締め上げた腰回りでこれを書いている。
肉体は衰えるっていうのを知ってはいる。いつか死ぬことも知っている。でもいつかはわからない。腰はこないだだったし、そういえば白髪も生えてきた。もともとあまり生えないたちなんだけどね。
じゃーどうしようかっていうとやっぱり備えるしかないのだ。そしてその備えるというのが、強固にしていくというよりは、柔軟にしていくというようなニュアンスが近くて、どんな状況でも毅然とした態度でのぞめるようにと、僕の名前は「剛」ではなく「毅」となったのだが、その名の通りどんな状況でも毅然とする、壊れないというよりも、壊れるということを理解し、その上で適切な行動が取れるとか、そういった心持ちでいることを鍛えねばならないのかもしれない。
終活という言葉がある。70とか80とか、周りに迷惑をかけないように生きているうちから死んだ後のための準備などをすることだが、いつだって死ぬんだ。
そう、この先、いつか地球は割れるかもしれないのだから。
終活は始まっている。いや始めねばならないのかもしれない。