やまぶ記 第一夜 〜怒りの極意〜
「怒り」という感情がある。
その感情の爆発は破滅や不信をもたらす危険なエネルギーだ。誰もが怒りを知っており、非生産的で不吉な印象を大なり小なり持っているだろう。
しかし同時に甘美でもある。
「怒り」という趣味はまとまった気力も体力も事前知識も必要とせず、お金もかからない。
社会の不正に「怒り」を覚えれば、それだけで何だか随分と真っ当な人間になった気持ちにすらなれる。
(ちなみに、社会の問題に興味を持つことは真っ当なことだし、改善に向けてひとりひとりが考えたり声をあげていくことは大切なことなのでそこは誤解なきよう。)
ただ、現に存在するものであってこれを良い悪いといつまでも論じても仕方がないのでこの辺で置いておくとして、どう言った状況で発生するかということを考えてみる。
何か付き合っていくための良いヒントがあるかもしれない。
思いつきではあるが、「怒り」が発生する状況というのは下記のどれかに当てはまっているような気がする。
①恐怖を感じた時
②期待が実現しなかった時
③自身の劣等感に触れた時
④他件の怒りが蘇った時
①②③は説明不要ではないだろうか。
④についても単純な話で、心中で解消していない「怒り」の炎が前提としてあり、それが今目の前で起きている事象と結びつき飛び火してしまうのである。
こんな日記を読んでいる人がいるかはわからないが、もしいるならば、自分が感じた過去の怒りをカテゴライズして遊んでみてはどうだろうか。おそらく多くは当てはめることができるだろうし、もしかした上記に当てはまらないものを発見できるかもしれない。
あくまで遊びなので根本的な解決にはならないのだが、「怒り』の最中にいる時には少しは役に立つかもしれない。月並みな言い方をすれば「一歩引いた見方』ができる。
自分でもどこから湧き上がってくるのかよくわからない感情にただ流されて生きるのはつまらなくないだろうか。(なんだか風の強い日に舞い上がってあちこちを飛び回る哀れなビニール袋のようだ。)
かといって見てくれや体裁ばかり気にして無視して封殺してしまうのもまたつまらない。
良いとか悪いとかそういった小さいスケールに自分を閉じ込め不自由にしてしまうからだ。
(少し脱線になるが、よく自由というのは他人に奪われるイメージがあるが第一に用心すべきは自分自身で縛りつけてしまうことだと思う。)
ではどうすれば良いのか、答えはない。
それこそ怒りが湧いてくるかもしれないが、そもそもこれは日記なので勘弁してほしい。
ただ、楽しんで自分自身を観察してみると言うのは悪くないのではないか。少なくとも損をすることもないだろう。