やまぶ記 第十一夜 〜鳥の化身〜
こんばんは。
今週はTwitterが大変なことになってましたね。インターネット依存症のlenyaにはこたえました。
(結局よくわからないまま制限がかからなくなったのはなんなんでしょう。騒動の終わりというのはよくわからないものですね。)
SNS断ちを強制されていたからというわけではないのですが、今、「望郷太郎」という漫画にハマっていて暇さえあれば反芻しています。
あまり漫画の感想を書くタイプではないのでうまく行くかわかりませんが、書き始めてみます。
一部に内容のネタバレがあるので注意してください。みていない方は読むのをやめて漫画を読んで見ることをおすすめします。
(以下のリンクはアフィリエイトではなく個人的な布教です。買わなくても各種(合法の)漫画アプリでも見られます。)
ちょっとだけ、あらすじ
世界的な寒波からひと月の間非難するため中東の地でコールドスリープの眠りについた主人公の舞鶴太郎(まいづるたろう)。
目が覚めたらたったひとり500年後の世界に取り残されてしまっていた。
共に眠りについた妻と息子は亡くなっており一時は生き甲斐をなくしたものの、日本に住んでいた父や娘を思い、その生きた形跡を追うため東へと旅立つ。
文明がリセット、凍てつく地球を生き延びる人たちの過熱する欲望は、遂に危険な領域へと突入する…
特に印象に残った部分を今夜はひとつだけ紹介します。
旅の途中訪れた村で行われる「大祭り」、近隣の村と贈り物を交換しあう一件和気藹々としたものですが、その実態は村の力を誇示しあうものでした。
村人自体が贈り物とされたり、贈られたものに同等の返礼ができれなければ村の長が命を持って償うなど歪なものです。
おそらくこの「大祭り」も初めは善意の中で行われていたに違いありません。
石器を用いた原始的な暮らしをしている中でどうにかやりくりして食べ物や毛皮を送りあって友好を示していたのだと思います。
望郷太郎の作中では他の地域でもしばしば「祭り」が登場します。本来彼らにとっての「祭り」は文明の恩恵を現代ほど受けられず、かつ現代よりも気温が低く厳しい生活の中の灯火なのでしょう。
しかし文化というのは続いていくうちに本来の意図は忘れられてしまうようです。
作中では贈り物の応酬として片方の村が自らの船を焼いてみせました。
もはや贈り物という建前すら崩壊し、「生存に不利な行為を敢えてやってみせる」という剥き出しのマウントになってしまいました。
ここで少し脱線ですが、孔雀の羽はメスにモテるために華やかになったという説があります。
あんなに派手なら目立ちますから生き抜くのには不利なのですが、そのような飾りを持ちながらも生きていけるオスこそ交尾の相手に相応しいとメスが惹かれていくという考え方です。
(脱線の脱線ですが、他人にいきなり高圧的な態度をとる人々も、自分の首を絞めることで性的アピールをしているのかもしれません。笑)
話を戻しますが、結局エスカレートした大祭りがどうなるかは漫画の通りです。
一見異世界転生のようなストーリーですが文化人類学?的な観点が恐ろしく鋭い漫画だと思います。
続きを早く読ませてくれ!
lenyaはハマりすぎて9巻まで一気に読んでしまって毎日をもどかしい気持ちで過ごしています。
きちんとマーは払いますので、何卒山田先生には毎日一巻のペースで発売していただければ幸いです。
(嘘です。いくらでも待ちます。)
先の読めない展開ですが、なんとなく主人公のやってきた事、これからする事に不穏な兆候を身体全体で感じています。
駄洒落みたいで恥ずかしいですが「舞鶴」はもしかすると「魔出ずる」なんじゃないかと勘繰ってしまいます。
とにかく、今後が楽しみな漫画です。
ではまた来週。