一生懸命生きるって
大学を辞めたい。
親に行けと言われて入ったもののなんのために入ったのか分からない。
確かに出てみなきゃ見えない世界もあるし、辞めるからこそわかる世界もあるだろう。
辞めるために色々なことをインターネットを駆使して調べる。
そもそも、大学に出ようが出まいが、スキルが無さすぎる。
俺はそもそも海外にいて生活したいんだ。でも、お金もないし、大学を辞めるのだから、留学だって海外の大学に通うためにすることもできない。
俺は人生を心臓が止まったその瞬間に、人が笑顔になる生き方をしていたい。
大学に行っていて思うが、面白くないやつがあまりに多い。
きっとこれから会社に入っても面白くない人生を歩むんだろうな、と思ってしまう。
家族に大学だけは出とけよって言われるけど、大学って今出なきゃ行けないのか。
俺はお金ができて、本当に自分が学びたいことを30過ぎてから学びに行くのでも遅くないと思うんだ。
日本ではイレギュラーかもしれないけど、海外じゃよく聞く話だ。
生きてるって確かに楽なことばかりじゃないし、これから海外に行きたいというのははっきりいう。逃げである。
でもその逃げは別に悪いことだと思わない。
逃げるけど、働くし、働くのはその日を生きるためで間違いない。
確かに、逃げることは批判を伴い、それに耐える忍耐が必要だ。
きっと家族は言うだろう。
「大学やめてどうするんだよ。」
でも俺は思う。俺が死ぬその瞬間まで俺の人生を見ていられるのは神様と俺だけじゃないか!
生きるって本当に難しいことだと思う。
確かにその瞬間、人の話を頷いているだろう。
確かにその瞬間に「うん」って言うだろう。
でも考えるのはそこから時間が経ってからこそできることじゃないだろうか。
「大学に行き続けてね」、確かにその瞬間言い返せないかもしれない。
お金も払ってるし、無駄だと思うのは誰が見てもそうだと思う。
でも、そのお金がもし実態を伴わないものに払われているならそれはもっと無駄じゃないか。
考えていた構想がうまく行く人生なんて面白くない。
確かに楽かもしれない。
ライフプランがうまく行って、みんな同じ服着て就活して、つまらない顔して働いて、お金を2000万円貰って、親の望み通りの人と結婚して、デップリ太って、病気になってって、俺はそんな人生を送りたいとは思わない。
そもそもスタートラインが人と違う俺の人生を、「普通」に、「まっとう」に生きるなんて不可能なんだよ。
構造が違うんだから。
今の俺に何ができる?
きっとできるのは、学歴を気にして、きっと自分たちより低学歴とされる人たちが作ったご飯をレストランで食べて、美味しくない、高い、文句を言って、そんな人生にならないように注意して生きることじゃないだろうか。
きっと「無責任」だって言われるんだろうな。
誰かになんかやってるポーズを取らなきゃ、一生懸命生きてるって言われないんだと思う。