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問題=思考の「場」 2024/07/28

起きて少し勉強して、betcovor!!のフジロックを配信で観る。「翔け夜の匂い草」「狐」とアコギが続いて、続く「幽霊」からはスタンドマイクでボーカルに専念していた。曲中でアコギが床に投げ捨てられ、ごん、という音が鳴った。冷房の効いた部屋で爆音を浴びて、途中すごすぎて何度か笑った。betcovor!!のベストアクトだったという声も多かった。

吉祥寺に移動して、仕事場でPhiloshopyのレポートをまとめる。今回は「問題」に関する議論で、従来のクイズ的な〈問いー答え〉という形式の再認性を否定しながら、思考の「場」としての「問題」ということが語られていた。レポートには、思考が植物だとしたら問題は大地で、両者は相互に影響し合うということを書いた。

書きながら、大喜利ワークショップのことを考えた。お題を考えることは答えを考えることでもあり、その逆でもある。お題として提示される文字列に対して、いまの大喜利はずいぶんと窮屈な範囲に収まっているように思った。そこには「真理性」の問題もかかわっていて、結局ウケる回答を追求していくと、ある一定の範囲に収斂していってしまうということなのだろう。本当に創造的なことをするならば、「ウケ」から離れなければならない。

便意を催してトイレへと向かうが、ビル中の男子トイレの個室が塞がっていて、あてもなく階下を20分ちかく彷徨った。仕方なく隣の百貨店へ行き、8階でやっと空室を見つけた。吉祥寺は人出に対してトイレが少なすぎて、街として機能しているとはいいがたい。これから、恋人と待ち合わせて蕎麦。

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