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おやつ

千葉雅也さんの『現代思想入門』がわかりやすく、ミーハーも相まって、いますごく影響を受けている状態、自分に意地悪な言い方をすれば、かぶれている状態だ。最近そんな感じなので、昨日はハイブリッド戦争は戦争対平和という対立の脱構築だということを書いた。ハイブリッド戦争とは、平和な日常に戦争がいわば「溶け出した」ような状態で、これまでの境界線が無効化するということだ。



で、今日はおやつについて考える。なぜ考えるのかといえば、私は職場でおやつばかり食べているからだ。

おやつを食べるという行為は、食事(=いわゆるごはんを食べる行為)と、非食事(=何もたべないこと)の中間に存在する。その点で、食事はおやつの脱構築的存在なのかもしれない。私がおやつを食べるのは、例えばPCで作業をしながらであったり、業務が一段落ついた区切りのタイミングだったりする。個包装のチョコレートやクッキーをつまむことが多い。

食事が日常に溶け出したものがおやつなのだとすると、おやつによって日常がHAPPYになるように聞こえるけれど、実際は3食きちんと食べて間食を控えたほうが幸せだし健康にも良い。この数世紀で食の環境が改善され、飽食の時代などと言われているけれど、それによって幸福度が上がったかといえば、そうは言い切れないのではないか。

これは、例えばハレとケの対立を脱構築した存在としての「エンタメ」のような領域にも言える。ようはメリハリの問題を考えたいということだ。

社会の発達によって、我々は四六時中自由に何かを得ることができる環境になった。例えばそれは食事だったりエンタメだったりする。けれど、それが幸福に繋がっているとは限らないわけで、だからこそ人間に本来備わっている「メリハリ」という問題が浮上してくるように感じる。幸福になるために必要な能力が変わった、つまり別のフェーズに入ったということだ。

今日はぼうっとしていて頭がまわらないけれど、「自制」というのが大事な時代なのかもしれない。

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