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20210713

 開催の可否を巡って世論を二分していた東京オリンピックは、無観客での開催という結論に落ち着いた。分科会の尾見会長から天皇陛下までもが開催への懸念を示すなか、政府は観客を入れた形での開催という形に最後まで執着した。無観客開催という結果は本来であれば、市民が「勝ち取った」果実だといえるはずなのに、殊勝な気持ちにまるでならない。

 コロナウイルスの拡大以降、私たちが何度も突きつけられ続けたのは、「行政には国民の声が決して届かない」という現実だった。数百億円の税金でマスクを配ることになったときも、PCR検査が実施されないまま多くの方が亡くなっていく中でも、それは同じだった。今回の無観客開催という決定も、結局は政府の都合「のみ」で決まったように見える。それは、原発の廃絶が実現されなかった10年前から(政権与党は交代したものの)何も変わっていないように感じる。

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 ところで、開会式は大丈夫なのだろうか。


 スポーツ嫌いの人間にとって、唯一の関心は開閉会式ぐらいのものなのだが、昨年末にプランニングチームの内紛が報じられて以降、まったく見る気になれない。

 学生時代、教室には体育部が文化部を見下すような雰囲気があった。ダサいとか、弱々しいみたいな風に思っていて、そして自分もあまりすきではない運動部に入った。

 オリンピックの騒動を見ていると、当時の冷めた視線を思い出す。組織の中で勝ち抜いてきた体育会系の人間が偉いかのような価値観が、アーティストの尊厳を犯しているように見える。

 幼稚で、権威におもねていて、昔の自分そっくりだ。うんざりする。

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 イベントの中止といえば、茨城県で開催予定だったロックインジャパンが中止に追い込まれた。主催者発表によれば、茨城県下の医師会が中止要請による圧力をかけたようだ。

 開催可否の曖昧な基準や、オリンピックを特別視する姿勢に批判が集まっているが、一番の問題は「医師会からの」要請で中止に追い込まれる構図のように思う。

 行政機関でない医師会が直接要請を出せば、補償が出る可能性は限りなく低い。また、どのイベントを中止すべきかという判断が、医師会の恣意的な判断で行われる可能性もある。(親組織でもある日本医師会は自民党の支持母体でもある。)

 「医師」という言葉に覆われているが、直接の要請は完全に越権行為だし、このような状況がつづけば社会はめちゃくちゃになる。

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 社会問題について持論を述べるなんてサムいなと思う。なりたくない自分としての振る舞いをしてしまっている。ああいやだ。

 学生の時に読めと言われていたマックスウェーバーを手に取る。1920年代に書かれた書物にも、現代に通じる指摘が多くあり驚く。

 民主主義が腐敗していくのは構造上のもののようだ。選挙で勝った人間達の独裁体制といってしまえばそれまでだし、だからこそ志の高い人物に任せないといけないともいえる。 「なんで自分には1票しかないのだろう」と思う人物が増えていけば、社会はよくなるのだろうか。

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 社会はどんどん悪くなっていく。反省せず、現実を直視できないのだから当然だ。

 自分は何をすべきなのか。どう行動すれば、正義を貫いたことになるのだろう。






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