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心の底から楽しむことはできないですね

もうお笑いを心の底から楽しむことはできないですね、という話になる。落研時代の先輩や同期と話しているときだ。面白いネタを見れば圧倒されて、つまらないネタを見れば過去の醜態を突きつけられている気分になる。どんな芸人さんにも面白さの欠片はあり、それは自分の何もなさを突きつけてくる。自分がまだ芸人を辞めずにいたら、どんな気持ちになっていただろう。


久しぶりにお笑いのライブを見に行った。投票制のライブがあると大学の先輩から連絡をもらった。そのライブは三部制で、投票上位者が上のリーグに勝ち進む、したがって友人の数が勝敗に大きく影響するというわけで、だ。


そのライブは3リーグ中の3つ目で、初舞台のユニットもいたり、つまり質は高くないもので、そのぶん、芸人さん自体の個性や、アイデアや言葉のおもしろさが素材のまま表出されていたりもする。そういう類いの面白さは概して意図的に表現できるものではないことも多い。若くて才能豊かな原石は湧きで続け、その天然の手触りに絶望的になる、既に辞めてるのに。


終演後、会場で会った別の先輩と食事に行って、もうお笑いを心の底から楽しむことはできないですね、と言い合った。その先輩は現役で俳優で活躍しているので、私よりもその大変さが重そうだった。流行の劇団の話などを聞きながら食事を終えて、財布を出すのにもたついていたら、おごって貰ってしまった。大きな舞台のスケジュールが入り、当分はバイトに入れないと聞いたばかりだったのに。何か差し入れでもさせてください今度、と思った。

20220320 追伸
初見の相手から面白さを読み取り好感を抱くという性質は、人間の本能の一機能なのだろう。群れで生活する生物として、相互に友好的な関係性を構築するために身についた。人間を人間たらしめる性質。

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