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ミステリと言う勿れ・心理学とサイコパス・リベラル風意見のくだらなさ(予定)

昨日最終話を迎えた『ミステリと言う勿れ』では、心理学的なモチーフが重要な役割を果たしていた。以下、簡単に挙げていく。

・主人公の久能整(菅田将暉)が心理学専攻の大学生という設定。容疑者の些細な仕草を心理学的に分析し、犯人を導き出す
・児童虐待により心を病んだキャラクターが複数登場する。ある者は同じ虐待サバイバーを助けるために親を殺す。ある者は解離性人格障害を患う。
・主人公も虐待を受けた過去を持つ?(詳細は語られない)
・いじめ加害者はカウンセリングを受けるべきという社会に向けた提言(第二話)
・バス運転手はサイコパス的人物としてキャラクターが造形されている(第二話)
・夫からのDVに苦しむ母親が、娘を守るというあらすじ(最終話)
・喜和(白石麻衣)の失踪の黒幕としてカウンセラーが浮上する(最終話)

心理学、サイコパス、カウンセリング、解離性人格障害、といった精神医学領域の要素が、物語全体に配置されている。そこに児童虐待、いじめ、DVといった要素を組み合わせれば、作品世界の骨子ができあがる

例外はあるものの、ドラマで出てくる暴力は、男性→女性もしくは大人→子供の方向に揃えられている。主人公の整や、ヒロインのライカ(門脇麦)も虐待サバイバーという設定だ。



で、このあとは、そんなに心理学っていえば何でも説明できるの?とか、虐待とかカウンセリングとか都合よく出すのは倫理的におかしい、みたいな感じのことを書きたいのだけれど、頭が働かない。

ドラマ内に出てくる「もの申す!」みたいなのもことごとく間違ってて、ということも書きたいのだけれど…

花粉で頭が回らない。批判記事こそしっかりと、論理的に書かないといけないので、今日はこのあたりで辞めておく。整理できたらまた書くかもしれない。書かないかも…

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