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二つの分水嶺

イヴァン・イリイチの『コンヴィヴィアリティのための道具』という本を読み始めた。彼は現代を「病院化」「学校化」などの切り口で論じた社会学者として知られている。著書に触れるのは初めてだ。語り口がわかりづらいところもあるけれど、なかなかおもしろい。

その第一章に、「二つの分水嶺」という考え方が登場する。社会が、①専門家によって知識が独占されること、②サービスが適正量を超えること、の二つの段階を通過するうちに、人間から主体性が奪われていくというのを説明する考え方だ。

別の言い方をすれば、この言葉は、人間が道具を支配する状態から、道具によって人間が支配される状態へとひっくり返る過程を説明している。どういうことか。

例えば、医療という分野。
もともとは地域ごとにそれぞれ医者がいて、漢方や薬草で対処療法をしていた。そこに、①西欧科学に基づいた西欧医学が流入してきて、科学的分析を習得した専門家が医療行為を独占するようになる。はじめのうちは西欧医学は治癒率の向上をもたらしたが、②しだいに医学は新しい病名を作り出したり、健康管理・衛生管理という名目で人々の生き方に制限を加えるようになる。そして最終的に、医療という道具は、人間の生活をモルモットのように管理するようになった。

ただ太っているだけの状態の肥満が病気のように扱われたり、長い歴史のあるタバコ文化が社会から排除されるようになったり。この事例は、いまも身近に存在しているように思う。



面白いのは、イリイチがこの二つの分水嶺という考え方でベトナム戦争を考察していることだ。

A国は、戦いが起きれば住人が全員で棒を持って戦いに行く程度の、かわいい軍事力だった。それがあるとき①プロフェッショナルによる軍隊が結成されるようになる。防衛力は増大し、A国は一時的により平和な状態を手に入れる。しかし、②周りのB国、C国も同様に平和を獲得していったために、軍拡競争が起きる。必要以上の軍事力を互いに持ち合うことで緊張関係が高まり、些細なきっかけで戦争が発生する。

上のA国には、アメリカだけでなくベトナムも含まれる。それだけでなく、ソ連も、いまの日本も、同じモデルが適用される。

日本が自衛のための武力を増大させれば、隣国はそれを侵略目的と読み替え、軍事力増大へとつなげる。平和を実現するために開発された武器が、世界を戦争へと導くという倒錯だ。



この「二つの分水嶺」モデルはけっこう面白く、我々の身近なケースにも応用できるかもしれない。もう少し考えてみたい。

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