煙(エッセイ)
国立新美術館で開催中の蔡國強展は、すごく奇抜な展示だった。作家は火薬を使った絵画やインスタレーションを制作しながら、宇宙との交信を試みる。爆破の壮大さがギャグのようで、何度も声を出して笑ってしまった。けれども笑ったあとで、いい説法を聞いたあとのような、爽やかな気持ちになるのだった。
爆破には煙がともなう。私たちは爆発自体を知覚することはできない。遅れて生じる光と音と煙を認識するだけだ。芸術は世界で起きた出来事の煙として生まれてくる。煙は単体では発生しないし、私たちは世界本体を知覚できない。
そこから地下鉄で市ヶ谷まで移動して、近藤聡乃の個展に行った。コミックエッセイの発売記念展で、壁に架けられた原画を読みながら回った。近藤聡乃は字がとても綺麗で、それだけでもう敵わないと思った。受付では缶バッジやボールペンが売られていて、5分ほど逡巡して買わなかった。今度彼女の家にあるマンガを読むことにした。