ラーメンズと私の話
私とラーメンズの出会いは中学生まで遡る。当時、流行の検索ワードを紹介する番組が流行っており、画面の端に流れる「ラーメンズ」という文字列を初めて目にした。早速パソコンで検索をしたところ神経質ともじゃもじゃの二人組が映し出された。それがラーメンズとの出会いだった。
当時はYouTubeの黎明期で、無断アップロードの温床だった。ラーメンズの動画は特に膨大に上がっていて、単独ライブやオンバト、放送終了したネタ番組まで、ほぼすべてを網羅している状態だった。うんざりな学校生活をやり過ごすのに必死だった私は、その洗礼をざぶざぶと浴びた。
大袈裟ではなく、自分がラーメンズから受けた影響は計り知れない。その後の自分は大学で落研に入り、卒業後養成所に通ったりすることになるのだが、自分にとってラーメンズは教科書であり、親のような存在で有り続けた。
それにしても、今回の騒動は酷すぎないだろうか。
人種差別は許してはいけない。虐殺は絶対に認めてはいけない。これに異論は無い。
一方で件の発言は「コント」の中の「台詞」であって、一般の会見やインタビューとは違う。あえて露悪的なキャラクターを演じることの倫理性について、論者は果たして深く議論はされたのだろうか。自分の判断が正しいとは言い切れないが、百人中百人が同じ答えになる問題のようには到底思えない。
それは簡単に解雇をした、組織委員会に対しても同じだ。即断できるような問題には自分には思えなかったが、きちんとした議論はなされたのだろうか。身を削って作品を残し続けてきたクリエイターの、良いところだけつまんで、問題が起きたら簡単に棄てるというのは、何が何でも都合がよすぎるのではないだろうか。
オリンピック関係者だからととりあえず叩いてる人たちも、それに阿って簡単にはしごを外す組織委員会も、端的に最悪だと思う。
俺が言いたいのは倫理についてだ。
罰というのは罪を「赦す」ためにあるもので、本来罪人にとって「救済」となるべきものだ。
意気揚々と正義を振りかざす人たちの中に、小林さんが反省をし、復帰をし、償っていくのを見守る気概のある者は何人いるのだろうか。
自分が中立でも公平でもないことは重々感じている。ただ小林さんには、人生を好転させてくれた一方的な恩があるから、一言だけ言わせてもらう。みんなもっと真剣に考えるべきだ。
小林さんが、社会からとがめられるような失敗をしたとしても、だからといって憂さ晴らしの標的にされるのを黙って見ているといのはどうしてもできない。ひとりの人間の人生に対して、無責任すぎる。
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