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「雛鍔」制作ノート#3(エッセイ)

台本に手を付けないまま夜になってしまった。台本を覚えるという作業に向き合えないまま、時間ばかりが進んでしまっている。図書館から帰ってきて、「さあ台本」という段階でテレビを点けてしまい、あっという間に9時を回ってしまった。いまは風呂で日記を書いている。

どうして落語をやろうと思ったのだろう。「表現」という行為は、とても苦しいものだ。報酬が得られるわけでもなく、失敗することもある。それでも「表現」をしたいのは、自分を「消費者」の位置に留めておきたくなかったからだろう。「お客さん」的なスタンスで居続けることを禁じるために、自分を追い込みたかったのだ。

ギターを買うか迷いながら、心の片隅で、子供ができたら弾いてくれるかもしれないと思っている自分がいる。それは「雛鍔」の父親そのものだ。落語はその甘えを肯定も否定もしない。落語を通じて何と向き合いたかったのか、それを研ぎ澄ましていくためには、結局練習しかない。

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