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2023年1月の記事一覧

「雛鍔」制作ノート#3(エッセイ)

「雛鍔」制作ノート#3(エッセイ)

台本に手を付けないまま夜になってしまった。台本を覚えるという作業に向き合えないまま、時間ばかりが進んでしまっている。図書館から帰ってきて、「さあ台本」という段階でテレビを点けてしまい、あっという間に9時を回ってしまった。いまは風呂で日記を書いている。

どうして落語をやろうと思ったのだろう。「表現」という行為は、とても苦しいものだ。報酬が得られるわけでもなく、失敗することもある。それでも「表現」を

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ギター(エッセイ)

ギター(エッセイ)

ギターを買うか迷っているが、買ってすぐに飽きる未来が見えている。エレキギターをアンプに繋がずに練習するとしても、今の防音も何もないアパートでは不安が大きい。苦情にびくびく怯えながら演奏したところで楽しくなく、やはりすぐに飽きるような気がしてならない。

最近、高校でギターを弾いていた友達とTwitterで繋がるようになった。彼はいまだにバンド活動を続けているようで、先日は吉祥寺でもライブをしていた

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順応(エッセイ)

順応(エッセイ)

胃の調子が悪い。映画を観に行ったら、手持ちカメラのショットに酔って、吐いてしまった。せっかく買ったコーヒーも渋くて残してしまった。身体の芯を冷やしながら吉祥寺から帰る。

昨夜は彼女が遊びに来て、鍋を作った。白菜と葱を山盛にしただけの簡単な鍋だったけれど、うまくできた。簡単な料理を手際よく作れるのは、母親譲りなのかもしれない。いまの家に引っ越してから料理が得意になり、台所も汚れなくなった。

いつ

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暗記(エッセイ)

暗記(エッセイ)

台本の暗記が捗らない。マクドナルドで少しだけ手を付けてみたものの、先はまだ長い。暗記というのはひどく前時代的な作業だと思う。これだけ記録媒体も発達している時代に、音読を繰り返して台詞を脳に刷り込んでいく。根気だけが頼りの、非効率的な時間だ。

噺の理解というのは暗記の先にある。つまらない単純作業を乗り越えて、やっと演じる面白さと触れ合える。暗記という先の見えない作業と付き合えなければ、表現という営

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偉いですね(エッセイ)

偉いですね(エッセイ)

彼女はときどき「偉いですね」と言ってくる。「ジムにちゃんと行って偉いですね」「休みなのに勉強して偉いですね」。なにもせず一日を棒に振ってしまったとき、出来たことを数え上げて包み込んでくれる。

今日は台本を覚えようと思っていたけれど、低気圧で頭が重くてやる気にならない。久しぶりに歯医者で神経の治療をして、顔の右奥あたりの空白が痛い。家の中まで寒くてコートを脱げない。いつのまにか風呂に入っている。

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刺激(エッセイ)

刺激(エッセイ)

この頃は日記を書く意欲が全然湧いてこない。こうして毎日更新はしているけれど、進歩しているという手応えが感じられない。日記には目標がない、それは生活と同じだ。生活の記録であるはずなのに、つける気になれない。

昼過ぎ、図書館で勉強していると上司から連絡があり、顧客から展覧会に誘われたとのことだった。自宅からスーツを着て会場にわざわざ顔を出すことを考えると気分が重い。働いていたときは、これを毎日やって

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価値観(エッセイ)

価値観(エッセイ)

価値観というのは儚いもので、洋服のように新しいものが登場しては、古いものが棄てられていく。いまは正しいと思っている価値観もいつのまにか古びていくし、いつまでも変わらない指標を「装った」価値観も登場する。

時間ができると新しい趣味に取り組みたくなる。ギター、簿記、英会話、YouTube、海外旅行にも行きたい。やりたいことばかりが増えて、何も出来なかったという無力感ばかりが膨らんでいく。最善手がわか

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軽さ(エッセイ)

軽さ(エッセイ)

体調を崩して、2月末まで会社を休暇を取っている。働き続けられなくなった理由を、ゆっくりとでも考えてみないといけない。継続的に働くためのシステムの何処かに無理があった。それは考え方なのか、物理的な身体面でなのか。

歳をとると人間は軽くなる。それは落語でも同じことだ。印刷した台本に軽く目を通しながら、そんなことを思った。「軽い芸」のように働くには、どうしたらよいのだろう。なかなか考えが前に進まない。

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集合的無意識(エッセイ)

集合的無意識(エッセイ)

集合的無意識というものを時々考える。それはiPhoneにおけるiOSのようなものだ。iPhoneを操作するとき、人は無意識にAppleの設計に従う。見方を変えれば、設計の枠の外には出られないような仕組みになっている。それが「プラットフォーム」ということだ。

人間は言語を使って物事を思考する。それは言語というプラットフォームによって、思考にあらかじめ限界が備わっているということだ。人間は言語の設計

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見ることと見られること(エッセイ)

見ることと見られること(エッセイ)

東京国立近代美術館で大竹伸朗展を観てきた。日曜午後の混雑している時間帯に当たってしまい、人の群れに疲れてしまった。会場は動線がはっきりしておらず、何度か身体をぶつけられた。カオティックな人混みの中で、膨大な量のコラージュを浴びるように観て、疲れてしまった。

美術館に来る客には、個性的(風)な服装の者が多い。センスを見せたいという自意識を感じる。美術を観るなんて普通のことなのに。見ることと見られる

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菓子鉢(エッセイ)

菓子鉢(エッセイ)

「雛鍔」の中に、「菓子鉢」という単語が一度だけ出てくる。本筋とは関係のない会話の中で登場する言葉で、削るかどうか思案を巡らせているうちに、実家にあった菓子鉢の存在を思い出した。

昔、うちの実家には菓子鉢があった。焦茶色で、2〜3センチくらいの深さの、木製の菓子鉢だった。袋のポテチがおよそ2回で入り切るくらいの大きさで、丸っこいフォルムが手に馴染んだのを思い出せる。

よく、袋のお菓子を直接食べて

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「雛鍔」制作ノート #2

「雛鍔」制作ノート #2

落語を演じる上でのコツのひとつに、「身分の違いがハッキリわかるように演じる」というのがある。「雛鍔」には、職人・武士・商人という3種類の人物が登場してくる。身分によって考え方や言動は異なり、その差異によって噺は駆動する。その人間性の違いをどう描けるかというのが、台本を作る上での当面の課題だ。

現代社会では階級対立は見えづらくなってきているが、考え方の違いというものは今も存続している。私は根っこの

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センサー(エッセイ)

センサー(エッセイ)

ここ数日は、日記を書くことを意図的に避けていた。最近、日記を書くことで鋭くなる生活へのセンサーが、過反応を起こしているように感じていて、なんとなく疲れていた。年末に本をまとめて、モチベーションが下がったというのもある。いったんアンテナを降そうという気分だった。

今日は11時過ぎに起床し、カフェで落語の台本を書いてから、予約していた歯医者に行った。普段担当してくれるのとは別の先生だった。以前から、

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ルーツの話13 (エッセイ)

ルーツの話13 (エッセイ)

養成所の初回のネタ見せは、自分でいうのもなんだが、とても上手くいったように思っている。それは養成所に通い始める前に、入念に準備を重ねたからだった。自分が生まれるより遥か前の映像や書籍を浴びるほど見て、私は経験値をパンパンに貯めていた。正直、これだけ準備をしたのだから当然だよな、という印象だった。

「どうしてこんなに面白いことをしているのに、周囲は頭ごなしに私を否定してくるのだろう。」芸人を志して

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