様々な考え方
様々な生き方
生き方にはいろいろある。
社会奉仕に勤める人。
神仏に仕える人。我が道を行く人。
私利私欲にはしる人……etc。
いずれも現在の世の中「日本」では、可能なことである。
ただ、すべからく彼等「彼女等」の生き方の前提が、問題になるであろう。
ここに大きく、二つの部類に分けてみたいと思う。
一つは、人の魂は永遠であり、死後も生き続ける。
その根底には、[神]の存在を信じている。
もう一つは、人生は一度きりであって、死ぬとその人間の全人格的なもの[魂]は、消滅すると言う考え。
故に[神]は、存在しない。
仮に前者を唯神論、後者を唯物論としてみると、唯神論者は、今の自分の人生に対して常に相手の立場になって、生きようとする。(また、生かされている)
何故だろう。魂は永遠であり、生前の生き方(考え方)によって、死後(地獄または天国)さらには、来生(転生輪廻と言う考え)にまでその待遇が影響してくるからである。
一方、唯物論者は、どんなに人の為に尽くしたところで、死んだ後に何の世界も無いし、また、生まれ変わる事も無いのだから、たった一度の人生を自分の為にのみ生きたっていいではないか、と言う考え方である。
今、ここに非常に運の悪い人生の落後者がいる。
彼は、夜の街路を一人背中を丸めて歩いていた。
ふと、辺りを見渡すと、幸せそうな家族連れが、彼の前を横切った。
後ろからは、楽しそうな若いカップルが歩いてくる。
国道には、暴走族がもうスピードでバイクを転がしている。
楽しそうな笑い声。
ネオンの灯りが、彼をいっそう孤立させていく。
街中が、明るく楽しそうな雰囲気に包まれている。
ここで、彼は何を考え何を思っただろう。
仮に、彼が、唯神論者であったなら、彼は、この街の雰囲気に祝福の念を感じたに違いない。
自分の身の上に、不平不満を持たず、自分より幸せな人々に対し、妬む事はないだろう。
何故なら、彼は、[魂]の永遠を信じている。
今世だけが、全てとは思ってはいないのだ。
もし、彼が、唯物論者であったなら、こう感じるのではないか。
街中の幸せな雰囲気に、不平不満を言い、何故自分だけが・・・と、世を妬み、これも運命だ、とあきらめに近い絶望感を抱いたかもしれない。
唯神論者が、挫折するきっかけとして、一つは、[もし]と言う考えがある。
もし、死後の世界がなかったら。
もし、生まれ変わる事がなかったら。
もし、本当に人生が一度きりであったなら。
と言う打算が生じてきたならば、唯神論者は、迷い始める。
これは、仕方のない事である。人間の生きている世界は、唯物の世界(物質世界)であるから、見えないものを信じるということは、難しい。
ここで、断っておかなければならないのは、唯物論者の中にも、唯神論者同様の生き方をしている方もおられると言う事実です。
何も、[魂]の永遠を信じないからといって、自分勝手に生きている人ばかりではないのである。
ようするに、人生の意義をいかに見い出そうとしているか否かである。
これからの世代は、どのように生きていくのだろうか。
[唯神論][唯物論]・・・いや、今の人々は、世代特有のたぐいまれな[要領]によって、この二つを、うまく使い分けて行くかもしれない。
いささか、極論ではありましたが、これにて終わらせていただきます
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