“先生の白い嘘”を観ました
私にとって女性であることに悩むというのは
日頃からあることで
どこか、恐怖に近いものを抱えて日々を過ごしている、という暮らしはどれくらいスタンダードなんだろうか。
“先生の白い嘘”という映画を見た。
奈緒さんが好きだから、それだけがきっかけで、
内容に触れず感想を述べるとするなら
やっぱり演技は圧巻だった、大好きだとまた思った。
さて、内容はというと
開けたくない記憶の扉が開く映画だと感じた
ただ、私は私の人生しか経験がないので
他人様がこの映画をご覧になられた時
これから書く感想がどれだけ共感できるのかは知らないし、わからない。
それでも興味がある方は読んでいってもらえたら嬉しい。
お話の大筋は
“現代の高校教師である主人公の美鈴(奈緒さん)の人生の一部”
という風に表すとわかりやすいだろうか。
主観が多いのでその先で関わる人間の感情まではあまりフォーカスされない印象に感じた。
感情移入しているからそう見えたのかな、人によってはさまざまだとは思う。
性が人を狂わすことは
大小あるにしろ、また、自分ごとじゃないにしろ
人生で経験があると思う。
この映画もまた、性がきっかけで人が狂って最終破滅まで描いていたけれど、一度もすっきりすることはなかった。
そして多分、この映画においては「すっきりしない」は正しいとおもう。
人から性的な視線を向けられることに対しての嫌悪や、恐怖を人一倍感じる方だという自覚がある、という私のバックボーンもあいまって
一度は風間俊介さん演じる“早瀬雅巳”に殺意すら感じた(ので、改めて風間俊介さんの演技に脱帽でした)
生物学的な構造や、“男である”“女である”ことでそれぞれが持っている良いところと、悪いところ
それの、いいところだけ人や、異性へ向けることもできるし、多くの人間はそういう風に他人と関わっていると思う。ただ、その反動は必ずあるものだということを、この映画はありありと表現していた。怖かった。
最後の描写で美奈子(三吉彩花)が、夫である早瀬へ宛てた手紙の中で
“頭も良くて、面倒見が良くて”という一文があったのも、本当に怖くて
残虐な性被害を起こす人間も、自分のありのままの姿では、対象である人間にすら近づけないのを知っているし、きっと孤立だって恐れている。
だからこそ近寄るための手段として自分が持っている、人が好感を持ちやすい姿だけを見せるように努力していたんだと思うし、その全てはとても窮屈だったんだと思う。
そして、その大きな反動が、遂に見つかった“美鈴”という対象者に向いていたのだと。
もちろん、行為も許されることでは無かったし
終盤に罪悪感で押しつぶされそうになった加害者が自死を選択しようとしていたのも気持ちが悪いとしか思わなかった。あなたが生んだ、罪悪感でしょう?と。
欲望が渦巻くなかで女性として、起きている事実を認めたくない、と目を瞑ってきた美奈子の気持ちもまた本当に苦しかった。
夫であり、加害者でもある早瀬が
子を自認して以来一度でも我が子を思って行動をしたことがあるのか疑う描写しかなかったうえ、その対象が親友だったのだから。
他人へ押し付ける感情や欲望、その先で起きた事象は、全て傷のように勝手に治癒して数週間、数ヶ月、数年後には無かったことになるものではなく心の奥深くまで届くタトゥーのようなものだと、そういう風に感じている。
そして、この手の被害はふとした瞬間にまた引き戻されてしまうものだと思う。
だいたい、映画は作り物なのだから、
見終わった後、どれほど救いがなくても
いつも私は、そうは言っても主人公の幸せを祈るのだが今回は、そうもいかないくらいリアルで
怖かった。
きっと、美鈴は大きな幸せを目の前にするたび
懐疑的になる瞬間が訪れるし
フラッシュバックすることもあるとおもう
そういうものを植え付けるような
行為が
態度が
集団の心理が
目線が
言葉が
たった1時間56分間の映画の中で
何度も何度も何度も何度もあった
人を疑う心が私にもある
だからこそ、もっと人に優しく
そして顔色を、声色の変化を、目線の動かし方を、もっと気にするようにこれからも人と接していくと思う。わずかでも誰かを傷つけてしまわないように。
今日もどこかで助けを呼ぶ声が押し殺されているかもしれない。そして、その時私は無力かもしれない。
もっと人と関わることが臆病になりそうな、そんな映画だった。