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【兎草子】ボランティア活動における専門スキルの対価(24/07/21)

昨日は朝から芝生張りの手伝いに参加。
約25平方メートルの広さの雑草が生い茂った庭をいったんスコップや鍬で掘り起こして雑草を取り出し、残った土の表面をレーキで整地。そこにマット状の芝を隙間なく並べてゆきます。並べたら元の地面にマットが密着するよう、皆で踏み固めます。そして最後目土を満遍なく芝の上に撒き、芝と馴染ませます。最後にたっぷりと水やり。水やりはこの後毎日夕方にたっぷりと2週間ほど行うのだとか。そしてその間は芝生への立ち入り厳禁。ここまですると、ようやく芝生が根づくのだとか。

目土を入れ終えた芝生

今回は、集まった素人8人に対して造園業を営む友人が作業のリードをしてくれました。今回は心意気で参加していただいたものの、プロの知恵と段取りには経緯を表さなければならないですし、この芝生を植えた庭の周囲の環境はまだまだ整備するべきことが多く、そこに協力いただく場合の対価をどうしようかというのはよく考えなければいけないところです。

地域のコミュニティの活動などでは、さまざまなプロの方々が活動しています。税理士や司法書士のような国家資格を持つ方もいらっしゃいますし、企業を経営されている方、デザインや広報マーケティング、Web制作のプロなどさまざまで、そのスキルによって収入を得、生活を成り立たせています。また職業としての肩書きはつかなくとも、サラリーマンだって営業の知恵やノウハウ、エンジニアとして技術でサラリーをいただいています。
地域コミュニティなどの活動で、何かを成し遂げようという時に、それぞれの人の専門知識や知恵が役立つことは無数にあると思います。そのとき、どこまでがボランタリーな活動で、どこからが対価を得たいもしくは得るべき活動なのか、というのは非常に難しい問題です。

地域活動はボランティアとしての活動なのだから対価は不要だろう。これはひとつの考えだと思います。ただ、時には普通の素人はちょっと勉強したくらいではわからないこと、できないことも多々あると思います。
その時に、そのスキルや作業に敬意を払わなくていいのか、どういう形で敬意を払ったほうがいいのか、というのは知恵やスキルの提供を受けた側のもやもやです。
また、提供した側にとっても、これだけのノウハウや時間を提供したのだから多少の対価はほしいな、全部ボランティアでやってと言われても、、、ということもあるかと思います。
このような双方のもやもやは、その後のコミュニティの活動に影響を与えないという保証はないですし、何より互いが気持ちよく活動し続けるためにはもやもやはないほうがベターです。

もやもやをなくすためには、どうしたらいいのでしょうか。
絶対にこうだという結論はないのだとは思いますが、もやもやをなくすために、小さくするためにできることはあると思います。
それは、もやもやがありそうだ、起きそうだと気づいた時点で声を出してみんなで会話することです。特に提供する側からは言い出しにくいこともあるでしょうから、提供を受ける側は積極的に声を出して聞いてみるのがいいのでしょう。聞き方も重要で「対価が必要ですか」と正面から聞いただけでは遠慮して答えるだけで結局もやもやが残ることになる可能性が高いですから、「お互いにもやもやをなくすために、どうするのがいいか考えたい」と言うのがいいと思います。
通常であればかかる料金を確認したり、いくらなら受け取ったほうが、もしくは受け取らないほうがもやもやしないのかなど、いろんな角度から会話したらいいと思います。会話を続けることで次第にお互いの理解が深まっていくような気がします。

とっても個人的な意見を言えば、少なくとも私の場合だったら、ということになりますが、その場合は
・実費的な経費、他人に外注した費用(外注経費)は請求
・私自身の時間については、 一回の週末・休日などで対応できる範囲は無償
・それ以上の長期の拘束や作業であれば要相談
といったあたりかな、なんて考えたりします。私はサラリーマンなので、あまり個別の専門的スキルはないんですけどね。


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