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こども一人一人を大切にした幼児教育とは?

研修に参加してきました。

県主催の研修会。
人権についての勉強会でした。そのなかで感じたこと。

大切にされているという実感がもてるのか?

「こども一人一人が大切にされる幼児教育」が大事だよ。

そりゃそうだ。
いま、これに対して反対する人なんていないでしょ?

とはいえ、あとを耐えない不適切保育。
みんな知ってるけど、実践できない。
こういうことが常に起きる現場。
人間性があらわになる仕事だということなんでしょう。
AIとかロボットとかではできない分野が大きい仕事ってことでよさそ?

ま、それはおいておいて、

またまた感じてしまった違和感。

つくづく、私は保育士にむいてないんじゃなかろうか…

講話のなかで、
「一人一人を大切にするということは、こども自身が大切にされていると感じられないとだめですよ」と。

そこに、チリッとしました。
ザワザワっと心がゆれました。

その後、グループ情報交換会で五人の幼稚園教諭のみなさんと話しました。(ちなみにかわちゃんのいまの勤務先は幼稚園です。)

こども自身が、大切にされていると感じられるから、自分以外の友達も同じように大切にされているとわかる。

もちろん、そのとおり。

「大切にされている」と感じているかどうかはどうやってわかるの??

私たち保育者は、常に一人一人を大切にする保育を心がけてる。一人一人、どんな手だてをしていこうか。その子どものよりよい成長のためにはなにが必要なのか。

私たちがどんなに大切に思っていても、その子が大切にされていると感じられなかったら、それは、一人一人を大切にしているとはいえないとのこと。

ごもっともです。
その方向を間違えてはだめですよ。私たちは。

では、クラスに子どもが30人いたとして、一人一人、みんな違ってみんないいの今、本当に30人のこどもの、一人一人個別の大切にされている感を満たすことができるの???
私にそれができているの???

端からみたら大切にしているようにみえても、
一人一人、それぞれの子どもが、大切にされていると感じていなくちゃいけなくて、で、それはどうやったらわかるんですか?

あの先生は一人一人をとても大切にする保育をしてるよねーとは言うものの、子どもが本当に大切にされていると感じているかどうかなんて、誰にもわからないじゃないですか。

私の心のなかなんて、私にしかわからないでしょう?
私は他人の心の中なんか、わからないんですけど??

え?みんなわかるの?
どうやって?
どうやって?
どうやって????

(こんなの屁理屈でしょうね。
もっと簡単に捉えたらいいのでしょうけど…)

満足そうとか、楽しそうとか、うれしそうとか
その子の気持ちを想像することはできますけどね、

大切にされていると感じているって???

「大切にされている」という感覚を知っているこどもとは? 

私の記事を読んでくださっている方は、よく書く内容なので分かってくださっているのかなと思うのですが、

人は「感情」を、経験によって体得していきます。
それも少しづつ段階を追って。
0歳から1歳2歳と大きくなるにつれ、どんどん感情が出てきます。
その感情に周囲のひとが言葉を添えて、輪郭を作っていきます。

「大切にされている」というのは感情ではないです。
大切にされたら感じる感情がその奥にあるはずです。
それを感じたことがあるかどうか。ということになります。
誰かからの何らかの行為に対して沸き起こったある種の感情を感じたら
「タイセツニサレテイル」と感じるという経験を積み重ねていないといけないんです。

それってどんなことでしょうか。
いつ、経験して、いつ気が付くのでしょうか。
さっきも書いたように感情は段階をおって体得していくものです。

ある感情を抱いたときにタイセツニサレテイルと感じるのだとして
本人がタイセツニサレテイルと感じるための経験をしていなかったら、
どんなに保育者が大切にしようとも、そう感じることができないわけです。
感情は発達の過程を越えることはないように思います。
「情動」というように、「情」=心が動くから「動」=体が動く。その結果、さらに心が動いて、もっと体が動く。その繰り返しで成長、発達が促されていく。(ここではあくまでも、そういうケースが多いのではないかという前提で。そして、成長は全てがパターンに当てはまるものではないという認識ももちろん持ち合わせています。)

結局ここにくる

タイセツニサレテイルと感じることができるかどうか。
つまり、大切にしてもらったらどんな気持ちがするかをし経験して知っていること。
それって、結局0歳までさかのぼるんじゃないのかな?

感情は飛び越えない。0歳からの毎日の積み重ねの中で培っていくもの。
やりのこしは、遡ってやり直すぐらい、人の感情、感覚は実体験に基づくの。←この事については別記事をかきます。今はそうなんだ~って思っててね。

どんなに幼稚園でがんばっても、足りなかった012歳の感情の育つ流れを知らなyいると、かなり力技になっちゃうんじゃないかな…とおもってます。

そして、むしろ知らなければ、今の私のように戸惑わなくてもいいのかもとも思います。

つまり、保育者や教諭は、あんまり深く考えず、自分が一人一人を大切にしてる「つもり」で日々を過ごせばいいわけですよ。
それ以外ないわけです。

だから、012歳の時を大事にしてほしいの。

その子の成長は、人生の途中で断片的に出会う私たちではどうにもできない。私たちは通り過ぎていく一場面でしかないわけです。その中で精一杯、「一人一人を大切にする幼児教育」を心掛けていくしかない。

自分がタイセツニサレテイルと自認できる心の育ちを012歳でできる環境を
作ってほしい。

生まれた瞬間から始まっているし、何ならおなかの中からスタートしています。


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