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学級担任制の限界?
学校現場はみんな疲れ切っていて、一人でも休んでしまうと回らない現状になっています。
「産休・育休代替が見つからず、教務主任が担任の代わりにやっているケースはよくあります。
私は学級担任を持ちたくて小学校の先生を選びました。中学・高校は担任との関わりが薄いです。自分の思い出でも、小学校の先生は今でも覚えていますが、中学・高校は担任より部活の顧問の方が、関わりが深くありました。
小学校では朝から6時間目まで授業をして帰りの会までクラスの子達といるというのが日常です。高学年担任になると、出授業はあるかもしれませんが、それでも一日3・4時間はクラスで授業をします。学級担任が持つ影響力は中学・高校と比べて、はるかに大きく責任感も強いです。
最近では「先生ガチャ」という言葉が生まれています。
子どもは学校の先生を選ぶことができず、その当たり外れは運次第、という状況を言い表したものです。よく保護者会の後にも「今年の先生はハズレだね」「アタリだね」という言葉を耳にしたことがあります。これはネガティブな言葉ですが、今の学校現場のあり方を考えていく、良いきっかけともなりました。
この言葉に対して、先生たちはどう向き合っていくべきなのでしょうか。私も子どもにとって「アタリの先生でありたい」と思っていた時期もありましたが、それは私一人の力ではできません。クラスに30人いれば、どうしても相性があり、この子にとってはアタリだけど、違う子にとってはハズレというのがどんな先生でもあります。同僚にも素敵だなと思う先生がいますが、相性が合わない子どもがいるのは事実です。これは自分自身にも言えることで、クラスの様子を見ていると、この子は「自分と距離を取っているな…」「他の先生だと楽しそうに授業を受けているな…」と感じてしまう事があります。
では、どうしたらいいのでしょうか。子どもの勉強や学校生活における一人の先生との関係性や相性で決まってしまう部分を、どんどん小さくすることだと思います。今の学校では、あまりにも担任の先生の裁量や負担が大きいため、反りが合わない先生だと「4月の時点で終わった…」と子どもが諦めてしまい、ガチャという言葉にすがりたくなるのではと思います。そのために、担任の先生によってすべてが決まってしまう事を少しでも減らすことが大事だと思います。それぞれの先生には「個性」があり「良さ」があります。それを学校スタンダードと言って統一化するのはよくないと思っています。
また「学級崩壊」や「いじめ」「不登校問題」が年々増加していくのを見ると、やはり学級担任一人では限界があります。クラスで問題が起きると担任の先生の責任になってしまう部分がとても大きいです。(特に小学校の場合は)指導力不足だと管理職から責められることもあります。その結果、一人で悩みを抱え込み、病休になってしまう先生も多くいます。
学級担任という考えをなくし、全員で子どもを見守るという制度を取っている学校(チーム担任制や教科担任制)もあります。いずれは小学校もそういう形になっていくのでしょうか。学級担任という枠にとらわれず、みんなで子どもを見て、育てていくという未来に近い将来なっていくような気がします。学年で担任を行うというのは、メリット・デメリットはありますが、教員の負担軽減の側面と、担任は一人ではなく複数人いた方が子どもにとっても良いと思います。