ダッシュボードによく分からんふわふわの綿毛みたいなの敷いてた先輩の車の中で聞いたRAD
なんでみんなあのふわふわのマットをダッシュボードに敷き詰めて車用の芳香剤プンプンさせてるのか当時マジ意味分からなかったけどともかく高校3年の冬に車の中で私はRADWIMPSと出会った。
そのとき流れていたのは「何十年後かに「君」と出会っていなかったアナタに向けた歌」というRAD初期の頃のシングル「奇跡」のカップリング曲である。
私はもう内容も覚えていないけど車を運転する先輩(ついでに先輩の名前も覚えていない)の話を遮って
「これ!いま流れてるやつ、なんていう歌ですか!?誰が歌ってるんですか!?」と後部座席から身を乗り出して聞いた。
そのとき車に乗っていたのは私と友達の女子2人と先輩という先輩のプチハーレムだったのだが私は"何か話題を振られたらとりあえず返事をする"という役だったので自ら発言したのはこれが最初だった。声は若干かすれていた。
先輩が「コレ」つって「奇跡」のCDを見せてくれたので急いでガラケーで曲名とRADWIMPSとメモった。
あとで買おうと思っていたのに
「そんなに気に入ったんならあげる」
と先輩がくれた。ありがとう名前も覚えていない先輩。まだ持ってます。
まあそんなことはどうでも良いけどともかく私はRADWIMPSと出会ってしまった。クソ甘い芳香剤がむせ返る若干イキり始めた車の中で。
ゆるやかにRADと共にある
それからずっと追いかけてきた。サブスクサービスなんて当時は無かったからCDはTUTAYAでずっと買い続けた。
RADWIMPSっていう名前、BUMP OF CHIKINと意味合い一緒じゃん!と思いながら。
ROCK IN JAPANでRAD特集があれば絶対に手に入れた。まだ家にある。
正直英語でなに言ってんのか全然分からなかったけどなんかすごくカッコよかった。それでよかった。英語は雰囲気で声を枯らして「なんちって」を歌った。
とにかくしらみつぶしに情報を集め、ライブはYahoo○ークションで競り落とし(ダメ、絶対!!)参加していた。クソみたいな暗黒の専門学校時代をただRADだけが照らした。
「携帯電話」を聴いて衝動的に携帯の電話帳を全て消したりもした。(SDにバックアップがあったので後でとっても感謝した)
青春はRADと共にあった。会う人会う人に布教して回った。
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熱量高めに布教して回ったのにいざ人気に火がつき一気に燃え上がると同時に私の熱は下火になっていた。
私の部屋にはRADのアルバムが「アルトコロニーの定理」までしかない。そういうことだ。
RADの新しい曲はもちろん好きだ。絶対聴く。
でもなぜかリピートしてしまうのは「何十年後かに「君」と出会っていなかったアナタに向けた歌」やアルバム「発展途上」や「おかずのごはん」「無人島に持っていき忘れた一枚」なのだ。
夏の夜には「蛍」晴れた日には「俺色スカイ」を聴き、9月は「セプテンバーさん」を聴く。満天の星を見上げて「トレモロ」で一人エモい気持ちになる。
私とRADの距離はこれで良いんだと思う。情熱を持ってひたすらに追いかけたりはしないけどそっといつでも私の日常に寄り添っている。
高校時代のこと本当に何も覚えてないのに今でも車のあまりよくない音質で聴こえてきた「それは心で、それは涙で、それは愛で、それは夢で、」というフレーズがずっと耳に残っている。
というよりただの思い出話。
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