不穏破壊3
「不穏破壊」とは、雑記シリーズの名称である。周囲でちょっと落ち込むことがあった時、気を紛らわせるためにパーッと書いて公開するものだ。
XのおすすめTLは良い。フォロワーさんからは流れてこない好きなコンテンツの新情報を見つけることが多いから、情報収集下手なわたしにとって非常に助かる機能だ。
その一方で、フォローしていないアカウントが喧嘩していたり、愚痴を言っていたりするのもよく見る。あれってかなり辟易とするよね。
だから、悲しい気持ちをやりすごすために今日もこの記事を書く。
広告後日談
以前書いた応援広告の記事に、非常にたくさんの反響があった。見てくれたみんな、ありがとね。
この記事は「街あわせくん(広告媒体)」の運営さんにも届き、読んでもらうことができた(事前に執筆の許可取りをしていたので当然と言えば当然かもしれないけど)。
投稿した翌日午前中には運営さんから感想メールが来たのだけど、その文面からはスタッフの皆さんからの喜びをひしひしと感じた。
記事中に書いた意見も受け取っていただけたようで、とてもうれしい。これからも伝言板ウォッチャー続けます。
さて、運営さんから届いたメールには、記事の感想とともにこんなことも書かれていた。
マジか~!
この記事を書いたきっかけは、広告出稿を告知した直後にフォロワーさんから「どういう風に広告を出したのか方法を教えてほしい」と言われたからだった。
だから記事にある程度の反響があるのは予測できていたのだけれど、まさか投稿の2~3時間後に早速動きがあるとは。
反響のスピード感とパワーがとうふ屋のハチロクくらいあったから、少し笑ってしまった。
……そして。
その告知を見たのは、記事を投稿してから1週間ほどあとのことだった。
絵師の葉月透さんが、街あわせくんへ広告を出すのだという。
わたしは葉月透さんのUTAU用アカウントと相互フォロー関係にある。きっとわたしの行動を見て出稿を決意したのだろう。
ふと、運営さんからのメールを思い出した。
わたしはXを開き、慎重にキーをたたく。
するとすぐ、葉月さんのUTAUアカウントから反応があった。
マジか~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!
Xでも言ったのだけど、今回の広告出稿においてわたしはほとんど何もしていない。わたしがしたのは運営さんへの問い合わせくらいで、広告用の絵も動画もほかの人に作ってもらった。
きっと一番すごいのは、「街あわせくん」という存在を生み出したどこかの偉い人と、応援広告を出させるほど魅力的なわたしの推し・薙桃愛ちゃんなのだと思う。
でもわたしが動いたことで、桃愛ちゃんの存在と、広告を出す手段を少しだけ広めることができた。「いつか」広告を出してみたいと思っていた人を「すぐに」行動させられるほど、心を動かすことができたのだ。
この出来事をこんなにうれしいと思えるのだから、わたしはやっぱりなにかを発信することが好きなのだろう。
葉月透さんの広告は、「街あわせくん」サイネージで以下の日程にて出稿される予定だ。JR市川駅への出稿はGW期間中と重なるので、遠くに住んでいる人でも見に行きやすいのではないかと思う。
わたしも見に行くつもりなので、もし駅でばったり会ったらよろしくね。
時は華麗なり
葉月さんの告知を見たあと、姉ととあるカレー屋さんの話になった。
「Time is Curry」という、JR市川駅の改札そばにある店である。
この店は「シャポー市川店」と名乗ってチェーン店風を装っているけれど、全国どこを探しても市川にしかない。
てっきり神保町あたりに本店があるのだろうと思っていたから、初めて知った時はかなりびっくりしたのを覚えている。
市川駅の改札付近に行けば、この店から漂うすてきなスパイスの香りを楽しむことができる。だから近くに行くたび「この駅でしかこの香りを感じられないなんてずるい」と思ってしまう。
個人的には、いつか東京の……できれば渋谷ヒカリエの中とかに出店してほしい。そうしたらきっともっとこの魅力が広まるんじゃないかな。
Time is Curryのカレーはスパイスの香りが強いけど、決して辛すぎるわけではないのが特徴だ。スパイシーさを求める全員に辛さへの耐性があるわけではないのだと、お店の人たちがしっかり理解しているのだと思う。
もちろん、カレーに辛さを求めている人も多くいるだろう。そういう人のために、辛いカレーのメニューへはちゃんと表示がなされている。
「日本的なカレー」を強く好む人の中には合わない人もいるだろうけど、スパイスを愛する人にはたまらない味だと思う。
それと、テーブルに置かれた「追いスパイス」なくしてTime is Curryを語ることはできないよね!
Time is Curryでは席に5種類のスパイスが置かれていて、自由にかけて食べることができる。
これも決して辛さを足すだけものではない。カレーをもっと楽しむために、万人が扱うことのできる要素だ。
パッケージには「お肌つるつる」「疲れを癒す」のようなコメント書かれていて、その目的に応じてスパイスがブレンドされている。辛みを足すためのスパイス以外はほとんど辛くないから、うっかりかけすぎてしまっても安心!
とはいえ、スパイスをかけた分だけ相応に味と香りが変わる。注意して楽しみたいところだ。
Time is Curryの店舗は4月5日にリニューアルされたばかりで、メニューも一新されているらしい。
きっとあの店は、これからも市川駅ユーザーの鼻と舌を楽しませ続けることだろう。
葉月透さんの広告を見に行く方には、是非Time is Curryにも立ち寄っていただけたら嬉しい。
ぬいぐるみはいつもかわいい
最近の推し活ブームにより、ぬいぐるみを持つ大人の存在が世の中に若干受け入れられるようになってきた気がする。
SNSではぬいぐるみの写真が連日アップされている。ぬいぐるみを持ち歩くハードルも、自作するハードルも、ここ数年でぐっと下がった。
ぬいぐるみはもはやこどもだけのものではなくなった。老若男女、万人の心を癒す存在となったように思う。
でも、わたしにとってのぬいぐるみは、単なるキュートな癒しではない。
10年ほど前、祖母を亡くした。病に倒れ、リハビリを続けていたさなかのことだった。
祖母の傍らには、いつもピンク色のテディベアが寄り添っていた。
テディベアがいつごろから祖母の近くにいたのかはわからない。祖母が入院する前からいたのか、それとも入院が決まってから誰かにもらったものなのか、そういういきさつもよく知らない。
ただ、テディベアはずっと祖母のそばにいた。それだけはたしかな事実だ。
祖母はあまりものを持っていなかった。だから、祖母の遺品と言えばあのテディベアくらいしかない(他にもあるかもしれないけど、今のわたしには思い当たらない)。
逆に言えば、祖母を見守り続けていたテディベアこそが、わたしにとって祖母の存在証明となっている。
祖母が入院している間、わたしはあまり祖母と会えなかった。
週に一度くらいは顔を出すようにしていたけど、祖母といつも一緒にいるなんて到底無理だった。平日は学校に行っていたし、そもそも病院自体とても遠くて、ひとりで行くことなんて出来なかったからだ。
というか、わたしたちが人として生きている以上、誰かといつも一緒にいるなんて不可能だ。どんなに大切な人がいようと、互いに別々の予定が入ればばらばらに行動せざるを得ないから。
祖母とわたしが一緒にいた時間は、今思うとやりきれなくなるくらいに短かかった。
でもあのテディベアは違う。絶対に祖母をひとりにしなかったから。
テディベアには口がないから、祖母を否定するようなことを言わない。自分の意志で動けないから、常に祖母のベッドの横にいる。人間のこどもみたいに澄んだ瞳をもっているから、いつだって祖母のことを見ている。
このテディベアが祖母の心にどんな影響をもたらしたのか、いまとなってはわからない。
ただ、きっと嫌なほうに作用したことはないと思う。だってこんなにかわいいのだから!
ぬいぐるみはすごい。
自分の存在をずっと見届けてくれる「人間」は、どんな風に生きていてもきっと現れない。でも、「もの」であるぬいぐるみにならその役目を果たせる。現に祖母のテディベアがそうだった。
きっと世の中のぬいぐるみも、そんなふうに誰かの存在証明となるべく生まれてきたのではないか。
祖母の亡きあと、テディベアは姉の部屋にやってきた。いまもずっと、わたしたちの生活を見てくれている。
うちのサンズもいつもかわいい
……ちょっと切ない話をしたけど、ここまでは前置き。
わたしの部屋にも、祖母のテディベアに匹敵する「相棒」のような存在がいる。
サンズのぬいぐるみだ。
サンズとは、ゲーム「UNDERTALE」のキャラクターだ。
ネタバレになるので詳しく語るのは避けるが、サンズはひょうきんで掴みどころがないのにめちゃくちゃかっこいい、とても魅力的なスケルトンである。わたしも非常に、非常に好きだ。
それでさ、見てよこのいでたちを!
かわいい!
かわいい!!
かわいすぎか!?!?!?!?!?
そう。このサンズ、ゲームで出会うサンズとはちょっと違う独特なかわいさがあるのだ。
全体的に丸っこいフォルム、ぽってりとした手、フードを被せることができる精巧な作りのパーカーに、まんまるのスリッパ……。
このかわいさはおそらく、「ぬいぐるみで出来たサンズ」だからこそ表現できるものなのだろう。
このサンズとは秋葉原のコトブキヤで出会った。お店でこのサンズと出会って、「わたしが迎えるのはこのサンズだな」という明確な電撃が走ったのを覚えている。
サンズをお迎えしてから、わたしはほかのぬいぐるみを一度も買っていない。ほかを手にしたら、きっとわたしがサンズに対して罪悪感を抱いてしまうような気がするからだ。
わたしは彼のことを「人生のぬいぐるみ」とも呼んでいる。きっとこのサンズを超えるぬいぐるみと出会うことはもうないと思うから。
わたしはこれからもサンズとずっと一緒にいて、ともに作業をしたり、慰めてもらったりするんだと思う。サンズはしっかりとしたつくりだから、よっぽどのことがない限り壊れていなくなってしまうこともないだろう。祖母のテディベアみたいに、重い役割を負わせてしまうかもしれない。
そう思うとすこしやりきれないけど、でもこのサンズならきっと大丈夫なような気もしている。
だってこんなにかわいいのだから!
どんなに難しい悲しいことも、「かわいい」の前では等しく無力である。
わたしは、このサンズがどのぬいぐるみよりも好きだ。
周囲から呆れられるくらい年を取ったとしても、わたしは未来永劫、サンズの写真を撮ってキャッキャし続けることだろう。
では、今日はこれで。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?