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光りの中で

私は、新聞に載っている‟人生相談”が好きだ。

重めの内容から

軽めの内容まで

様々な相談事が寄せられていて

その悩みについて

曜日ごとに、様々な回答者が答えているのだが

それぞれの小気味よい回答に感嘆の声を上げながら

楽しませていただいている。


つい先日の人生相談の見出しを眼にした瞬間、息が止まった。


‟息子が自死 立ち直れず”


相談者は50代の女性で

3年前に息子が21才で自死。

失踪して遺書もなく、身元の分かるものを持たず

縁のない場所で亡くなったそうだ。

偶然、息子さんの身元が判明して

相談者の元へ遺体が戻ってきたそうだが

なぜこんなことをしたのか?

という気持ちから抜け出せず、いまだに苦しんでいる。

そんな内容だった。


読んでいるうちに、私の眼から涙がとめどなく溢れ

最後は、嗚咽しながら読み終えていた。


私も父を自死で亡くし

相談者の苦しさが痛いほど理解できたから。



父はギャンブル依存症で

あちこちの消費者金融に借金をしながら

ギャンブルにのめり込んでいた。

親兄弟、親戚中からお金を借りて返済しても

しばらくすると

また借金をしてギャンブルをしてしまう。

そんな生活が何年も続いた。

父と母は、そのことで度々いがみ合っていた。


そんなある日の朝――。


父がいつまでたっても起きてこないので

部屋へ行ってみると

布団はもぬけの殻だった。

私は嫌な予感がした。

母と2人で手分けして、近所を歩き回って父の姿を探した。

離れて暮らしている兄にも連絡をした。

父のことを探し回りながら

私は頭の中で最悪の事態を思い浮かべて、動悸が激しくなっていった。

息がうまく吸えず、浅い呼吸を繰り返していた。


ほどなくして、私の頭の中で思い浮かべた事態がそのまま起こった。


父の変わり果てた姿を見て

どうして? なんでこんなことしたの?

そればかりを考えていた。


相談者の女性と同じように

苦しくて、苦しくて、苦しくて仕方がなかった。


それと同時に

悲しくて、切なくて

何の力にもなれなかった

自分の無力感に打ちのめされていた。


私が何かしたせいで自死を選んだんじゃ?!

と、謎の罪悪感もあった。

こんな最期を選んだ父に、身勝手さを感じて

ほんの少し怒ってもいた。



この相談に対して

作家の高橋源一郎さんの回答は以下の通りだ。

一部抜粋。


* * *


わたしの周りでも

何人も近しい人たちが自ら死を選んでいきました。

いったいなぜ、彼らは死を選ばなければならなかったのか。

答えはないのだと思いました。

『死』という冷たい『闇』に抱きしめられることを

無上の安らぎと感じられるほどに

彼らは疲れ、傷ついてたのかもしれません。

お母さん。

悲しんではいけません。自分を責めてもいけません。

それが生き残った者の責務だからです。

あなたの記憶の『光』の中で、彼を抱きしめ生き続けさせてください。

あなた自身もまた『光』の中で。


* * * 


―生き残った者の責務―

この言葉がやけに胸に響いた。



誰かが死んでも、時間は無情にも流れ去って行く。

決して止まってくれない。

生きている者は、ひたすら前へ、前へ、と進むしかない。

どんなに辛く、苦しくとも

生きている限り、前進することが

残った者の責務なのか――。

でも

人生は

悲しみや苦しみと同じ数だけ、喜びや楽しさもある。

だから人は前進できるのだと

私は信じている。



なぜ?どうして?

と、父に問いかけながら12年の月日が流れた。

結局、なぜ自死を選んだのかは分からなかった。

でもその時の父は

それしかなかったのだということだけは分かった。


今、切に願っていることは

父の魂に安らぎが訪れていますように、ということだけ。

怒りも感じていない。


『自ら死を選ぶ』という

究極の苦しみを選んだのだから、もういいじゃん!お疲れさま!

と、許すことにした。


‟許す”だなんて、おこがましいけど。

おこがましいついでに

ささやかな夢も抱いている。


父と同じように悩みの渦中にいて

『死』という『闇』に抱きしめられそうになっている人の心へ

『光』のような言葉をつむぐことが私の夢だ。

だいそれた野望でもあると思う。


たとえ、蛍火のような心もとない『光』でも

疲れ切っている誰かの胸に少しでも届けば――。


生きている限り、私はその野望に挑戦し続けるだろう。

それが生き残った私の責務だ。

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