焦りと不安とコンポスト#Day5
田舎暮らし、日々の記録
昨日は大雨が降りました。私が住んでいるところは、長野県の山に囲まれた静かな宿場町です。ここでは毎年、夏が終わる頃、雨がたくさん振るそうです。昨日も、雨の影響でしばらく電車が止まっていました。
山が近いので、雷の音も近い。地響きでその恐ろしさが伝わってきます。一昨日は快晴だったせいか、山の表情がより厳しくなったように感じました。この季節は自然も、ころころと機嫌が変わるようです。
人間は気分の変化が激しいと躁鬱という病6診断されしまいますが、母なる自然がもうそのようにできているのだと思うと、当たり前のことなのかもしれません。
外に出なくてはいけない理由もないので、家の中でゆっくりしていました。お気楽に窓の外の豪雨を眺めるのは、昔からなぜかワクワクします。子どもの頃、雨の日の室内の遊びは特別に感じました。色々理由を考えてみたものの、理由はやっぱり分かりませんでした。
私にとってはワクワクの雨ですが、庭のプランターに植えていたカモミールが少し心配でした。プランターなら室内に入れてしまえばと思うのですが、もうすでに大雨なので外に出たくありません。雨上がりに様子を見に行くと、少し傾いていたためか、土が片方に流れ、芽も一緒に傾いていました。傾いていたけど元気でした。
畑では、コンポストもやっています。生ごみを土に混ぜておくのですが1週間もすれば、すっかりなくなります。微生物が生ごみを分解してしまうからで、その土は栄養を蓄えることができます。またそれを畑の土として使うことで、食べ物に栄養が還元されていくというサイクルになっています。
コンポストでは面白い現象が起きます。野菜は跡形もなく無くなってしまうのですが、骨や貝殻、卵の殻はなかなか分解されません。化石や貝塚など原始時代から残っているものを思いおこせば容易にわかることですが、動物の骨格を作るものは風化に耐えられるよう頑丈に作られていることを体感しました。
これらは私たちが生きている間には土に還らない。そんなことを考えていると、いつの間にかエネルギーの問題に思い至りました。
今の私は車のない田舎生活で日用品ですら、買い物に行く回数が減りました。たまに行くスーパーがすごく特別に感じ、たくさんのものの中から選択できることをすごく嬉しく思うようになりました。「よくこんなにたくさんの人のニーズにたくさんの商品で答えられるなあ、世界にある商品の量は膨大だろうなあ」と、思いました。
卵の殻は有害ではないけれど、コンポストに入れる生ゴミの中身が全て卵の殻であったら、土に栄養が還るまでには人間のライフスパンを超えてしまします。しかし、鶏が卵を産むには、餌となる穀物が必要だし、穀物を作るには土と水が必要です。人がたくさんの卵を食べるから、鶏にたくさん産んでもらったところ、殻を作るのに使われた栄養はなかなか土に還らない。するとだんだんと貧弱な土ばかりになってしまう。
だいぶ拡大解釈したものの、ある1つのものを生産することに集中してしまうと、どこかで必ずバランスが崩れてしまうだろうなということ。
それは昨日降った大雨も一緒で、ここでこんなに大雨が降ったということは、どこかで水が無くなっているのだろうな。
でも地球という大きな惑星で考えると、水位が上がって1つの島がなくなったり、砂漠化で人が住める地域が減少することで、人間という種全体を巻き込んだ破壊が行われ、また再生していくのだろうと思います。その時、人はまた原始から始めるのでしょうか。それとも火星に移り住んでいるのでしょうか。
どんな状況でも秩序はありのままであると考えると、不安も安心もないですね。
それでも私は、焦って不安になってしまう時があります。自然災害や円安のニュースで不安を感じてしまったり、未来を見据えて行動しているような人を見ると、焦りを感じることがあります。動物だから仕方ない。やはり本能として生き残ろうとする気持ちがどこかに組み込まれているようです。マイナスな感情を避けることが難しいこともあると、割り切ってしまうしかないですね。
長野県の田舎に越してきて1ヶ月が経とうとしています。しばらくは時間に縛られず、眠い時に寝て、目が覚めた時間に起きて、思いのままに過ごしていました。
そろそろこの土地での生活での時間感覚が掴めてきたので、計画を立ててみました。
朝に何をして、何時にこういったルーティンをする、といったものです。
今日は朝6時に起きてラジオ来そうして、トイレ掃除して、ストレッチをして、今2000文字の文章を書いています。
習慣を作ることは私にとって、砂遊びのようなもので、作っては壊しを続けています。世の中には積み上げが大事なものと、破壊が必要なものがあると言われていますが、その感覚を捉えることは難しいように感じます。とりあえず今日は積み上げていくための土台を作りました。
最後まで読んでいただきありがとうございます。