見出し画像

最近SNSが疲れる話

本当に最近嫌なニュースが多い。

それに対して、どんな意見持っても別にいいと思う。だけど、今日本当にモヤモヤしてしまって寝れなかったことがあったから文字にしておきたい。

レペゼン地球が「セクハラ偽装」をして、炎上商法をした話だ。
面白くはないし、自分のライブを認知してほしいという「自分のためだけのマーケティング」だから、世の中が求めていることではないなと思った。
それに、私はこういうことは出来ないなと思った(色んな意味で)。

ただ、まず普通の人が思い付かないからこそ、色んな人の感情を逆手にとって、それだけ認知させようと捨て身でいられるのはすごいなと思った。(私は、人に嫌われるのが嫌だから)

でも、セクハラの被害に遭ってる人が声を上げづらくなるとか、そういう声を小馬鹿にしてるとか、それは確かにそうだなと思ったし、許されることではない。

ただ、私がモヤモヤしたのはレペゼン地球に対してじゃなくて、そのマーケティング商法を否定している人たちに対してだ。

「好き」「嫌い」は、全然いいと思う。(私の素直な感情は、嫌いになれない、だが。)

それに、「普段女性の権利に対して日々考えている人、活動している人、被害に遭った人、被害に遭った人の近くにいる人」が怒るのは、当たり前だ。

だけど、私がモヤモヤしたのは、この商法を否定している人はみんな「セクハラが悪いこと」という定義の本質をはっきり理解して、否定しているのかな?と思ってしまったからだ。

「世の中が間違ってると言ってるから」
という観点で判断している人も多いと思う。

それはそれでいいと思うし、世の中が変われば
人の価値観も変わるのかな?とも思う。
人は、周りに合わせるから。

でも、セクハラはラインが凄く難しい。
「セクハラがダメ」という批判だけでは、問題の根本は変わらない気がするのだ。

私は、職場で上司に目に見えるセクハラを受けたことはないけど(受け流してるだけかもしれないが)セクハラを友人関係や先輩関係にまで引き伸ばせば、ある。

セクハラって、セクシャルなことを言うだけではない。セクシャル(女性性)な意味を含めた容姿や人格否定も含める言葉を言うのは全部、広義の意味でセクハラだ。

「この人なら言っても大丈夫だろう。」と、人として軽んじられることによって、自分の女性的自尊心が傷つくことは全部そうだ。

私も、言われてすごく嫌だったことがある。
それで、未だに気にしていることもある。

それは、たった1人の人に植えつけられたのではなくて、小さい頃から少しずつ蓄積されていったものだ。
男性から言われたものだけではない。
メンタルが不調だと自分の写真を見て、泣いたりすることもあるくらいだ。

ただ、だから被害者だ!と言いたいんじゃなくて(そう思ってた時期もあるし、未だにモヤモヤするのはまだ気持ちが残ってるからかもしれないが)
SNSで批判する人は、周りの身近な1つ1つの言葉をその勢いで批判してほしいのだ。それで、小さなセクハラの芽から摘んでくれないかな...と思ってしまう。

ただ、自分も小さなセクハラをしてしまったことがある。広義の意味での、男性性の押し付けだ。
やっぱりそれは、自分のフィルターがかかっていたり、何処かしらで相手を軽んじていたりするんだと思う。

そういう気持ちって誰にでもあるし、相手はそんなに悪気がない場合もある。
それって、「今まで受け入れられてきたから、嫌だと思ってないと思ってる」からだ。

実際、セクハラの基準って曖昧だし相手にとって受け取り方が変わる。

私は、容姿に元々コンプレックスがあるから容姿のことを否定されるのはすごく嫌いだけど、
受け流せる人もいる。

それに、「かわいいね」がすごく嬉しい人もいるし、関係性によっては(仕事関係の人とか)人として見てもらいたいのに、女として見られるのが嫌だと思う人もいる。

だから私は、嫌だなと思ったら出来るだけ伝えるようにしている。
分かってもらえる人もいるし、そうじゃない人もいる。けど、私の場合は分かってもらえる人の方が多かった。

言えない人もいると思うし、無理にではないが
分かってもらおうと伝えることも大事だと思う。
言われた側は、辛いと思うが、言えるなら嫌だと拒否した方がいい。

そして。
嫌なこと言われたら、モヤモヤした感情は残るけど、ここぞとばかりに相手を叩くよりは「コミュニケーション」を取った方がいい。
そして、ミスを取り上げすぎない方がいい。
本当にその言葉が嫌だと自分もなかなか出来ないが、そうしたいと思う。

なぜかというと、自分は完璧な人間じゃないから、人として間違っていることをしたことがたくさんあるからだ。
人がそんなに簡単に変われないのも、自分自身が身をもって理解している。

でも、拒否できない相手だった場合...
確かにそれを思うとレペゼンのしたことは勇気ある行動を否定してることになる。
普通に最低だ。

最低だと思うけど、彼のことを私は、嫌いにはなれない。

私は、SNSでレペゼンへの感情を吐露するのは全然いいと思う。発信することで何か変わるかもしれないから。

ただ、それは「想い」でしかないから共感はされても変えることには繋がらないと思うのだ。
批判のリプやリツイートもそうだ。

本当に変えたかったら、小さな芽を摘んでいくのが一番早いと思う。
それは、「社会的に問題になっているから」ではなくて「自分が嫌だと思うから」でいいと思う。

「本当の問題のことは、理解し切れないけどレペゼンのしたことは受け入れられない」はいいのだ。(私だって、理解し切れてない)

でも批判している人で、レペゼンが嫌いとかの感情じゃなくて(嫌いは自分の意見だから、いい。)
「セクハラ被害を問題視している」風に怒る人はなんか嫌だ。(本当に問題視して、発信している人には、1つの意見を発信するのって勇気があるのに尊敬するなと思う)

それがモヤモヤしていた理由だ。
それをきっかけに、自分に何が出来るかを考え始めたなら素敵だと思うのだが。

正直、私は社会を変えたいという気持ちがあまりなくて、明日の自分と自分の好きな人が幸せだったらそれでいい。

だから、自分がされたら嫌なことは伝えるし
「ん?」と思ったら、それを言われていた相手にどう思ったか聞いてみることから始めようと思う。

それでも。

言っても無理な場合。それは、一人で苦しまず告発をして味方をつけて戦ってほしい。
心からそう思う。

けれど、最近のSNSは戦いばかりが中心で疲れた。

セクハラを受けた本人以外が、本当に問題視していて戦いたいなら
SNSじゃなくてリアルで日常から細々やってほしい。

自分もそうする。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?