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まっすぐ

「私の中身をまっすぐ見て、私の気持ちにまっすぐ答えてくれるから。」

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言葉にして、気付くことがある。

人生で1番好きだった人に振られてから3年ほど経つ。 受け止めてもらえなかった「好き」の持って行きどころが分からなかった。

その後、他に好きになった人も出来たけど、自分の寂しさを埋めることしか考えていなかったから、結局その人にも振られた。

タイプじゃないとか、色々他にも好きになれない理由はあったと思うけど。

だから、私は女としての魅力がないんだと思いこんだ。

元々、自分のことは好きじゃなかった。
だから、どん底まで自己肯定感が落ちたし

なぜ、こんな顔に
生まれてしまったんだろう

とか

なぜ、こんな可愛げのない性格なんだろう

とか

取り止めのないことに悩んで悩んで、一時期はおかしかった。

「人を好きになること」

って悪いことではないはずなのに、みんなが出来ることが自分はしちゃいけないんだと思った。

今考えると、大分拗らせている。

けど、当時は本気で思っていた。

だから、「人を好きになっていい人」になれるようにメイクも、ファッションもダイエットも努力した。

それから、どうしたら男の人に好かれるか、どんな言葉を返したら喜んでもらえるのかも考えた。

その内メイクやファッションは、好きになれたけど、やっぱりどうしたら男の人に好きになってもらえるか分からなかった。

それに、そんなことばっかり考えている自分のことは、どんどん嫌になった。

今隣にいてくれる人と出会ったのは、相変わらず、異性の目を気にし過ぎていた頃。

とはいえ、最初は好きになれなくて好きになろうと探り探りだったのだけど。

いつを境にちゃんと好きになれたのかは、あんまり覚えてない。

だけど、友達に付き合いたての頃の話をした時に気付いたことがある。

「あの人は、最初から私の中身を真っ直ぐ見て好きだと言ってくれたのが分かったから、私もきっと好きになれるって思ったんだよね。」

この言葉。

相手を真っ直ぐ見るって、大切な人なら尚更、当たり前のことだ。

けれど、恋をしてるとき自分のフィルターがかかってしまう人は多い。
私は正にそういう人間だった。

だから、自分が相手にどう思われるかばかりを気にし過ぎていたし、自分のことばかりで、本当に相手を思った行動は取れていなかった。

誰かに好かれるためだけに生きていた気がする。
必死だった。

寂しさや気持ちの持って行きどころが分からなくて、男の人に好かれることが「すべきことで」、「最善」だと思っていた。

私のことを思って言ってくれた言葉も、嬉しくは思えど受け止めきれなかった。

ぽっかり空いた寂しさをどうにかして埋める方法ばかり探していたと思う。

けれど、埋まらない寂しさは結局自分で付き合っていくしかないんだと、何年もかけて気付いた。

そして今、寂しさは埋まったかというと完全に埋まってはいない。

思い出が薄れることはあっても、埋まることは多分ないんだと思う。

ただ、それでも向き合っていこうと思えるようになった。

理由は、年月が経ち少し覚悟が出来たこと。

それから、人が自分に対して言ってくれる「ありのままが好き」が、嬉しいだけじゃなくて
結局、どういうことか分かるようになってきたからだ。

自分のことを好きにはなれていないけど、とりあえずは、好きじゃない自分のままでもいいと思えるようになった。

完璧になれなくても、真っ直ぐ欠点も含めてそのままを見ることは、自分ができる自分に対する愛情だと気付いたからだ。

そして、私のありのままが好きだと言ってくれることは、最大限の愛情表現で
『あなたが大切』ってことだったんだ、とストンと落ちた。

今日もまた、私は自分のことや周りの人を真っ直ぐに見れてるだろうか。

それから、彼の真っ直ぐな愛情を受けながら
私も真っ直ぐに彼を見れているだろうか。

周りが見えなくなるくらい、人を好きになれることは幸せなこと。

だけど、それ以上にまっすぐに私を見てくれて
私の好き!って気持ちをないがしろにせず
大事にしてくれることは、本当に何よりも幸せなことだなあと思うのです。







#クリープハイプ #陽

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