一人じゃない、だからいい文章が生まれる【sentenceYMO会レポート vol.4 】
こんにちは、ゆかです。
「書く」を生業にしようと決めて、約1年が経とうとしています。まだまだ未熟者ですが、少しずつ読者を意識した文章の書き方が分かってきた気がします。
大きな理由は、「書く」を学び合い、「書く」と共に生きたい人の共同体コミュニティ「sentence」 に入会したことです!
sentenceでは、slackというコミュニケーションツールを通して交流をしています。
普段は、slack上で「書く」ことに関するお悩みを相談したり、書いた記事をシェアしたり、時には「今日は、原稿を完成させます!」と宣言をした人をスタンプで応援したり…。
「書く」を学ぶことだけが目的ではなく、「書く」を共に高め合える方たちと交流ができること。それが、sentenceの魅力なんです。
slack内のやり取りだけか〜と思った人は、ご安心ください。sentenceは、定期的にオンラインのワークショップも開催しています。
sentence横丁(オンライン飲み会)、オンライン読書会、「書く」をテーマにしたオンラインイベントの開催…
そして、YMO会!
先週のYMO会では、私とかにさんの記事について振り返りました。どのような話をして、どのような学びが得られたのかシェアできればと思います。
【YMO会とは?】
inquireでは原稿のスキルアップに向けて「YMO会」という集まりを開催しています。YMO会は、原稿における「Y・M(佳き・モヤっと)ポイント」を複数人で見つけ合ってディスカッションし、最終的にそれぞれが今後の執筆での成長課題「O(推して参る)ポイント」を策定、スキルを磨いていくための会です。
▼ 詳しいやり方はこちらをどうぞ!
https://note.com/tkswest/n/n61aab62063d0
YMO会では、約1週間前に記事をシェアし、原稿における「Y・M(佳き・モヤっと)ポイント」をグーグルドキュメントのコメント機能で記載していきます。
そして、事前に記載したポイントを中心に、グループに分かれてディスカッションするのですが…これが、かなり学びになるんです!
私は、自分の体験をもとにした「フェミニズム」がテーマの記事をYMしていただきました。そこで学んだことは、主に3つです。
仮タイトルや仮見出しをつけて、軸をはっきりさせる
タイトルや見出しをつけるタイミングって、迷いますよね。私は、「タイトルは、後からじっくり考えたろ!」と思い、後から付ける派だったのでしたが…今回のYM会で、タイトル放浪者を卒業しようと決めました。
なぜなら、仮タイトルや仮見出しを付けることで「記事の軸がブレない」から。
記事の軸、つまり記事内で伝えたいことがブレてしまうと、読み手に「結局、何が言いたかったの?」と思わせてしまいます。また、記事を読むことそのものにストレスを感じさせてしまう場合も。
記事の軸は、読み手に「伝えたいことをしっかり伝える」「気持ちよく読み終えてもらう」ために、とても重要です。
書き出す前に、タイトルや見出しを完璧に決める必要はありません。
・伝えたい軸に沿ったワードを箇条書きにしておく
・一言で仮のタイトルをつけておく
書き出す前に、上記どちらかの方法をやってみるだけで軸がブレにくくなるそう。
軸を決めておくと、自分の複雑で長いエピソードを説明する時にも役立ちます。なぜなら、軸を伝えるために不必要なエピソードを削ることができるから。私は、文章が冗長になりがちなので、これを知って目からウロコでした。
今度からやってみます!
主語が大きくなる問題
「日本では」とか「独身の人は」「LGBTQの人は」と一般化して話を進めてしまうことを「主語が大きくなる」と言っています。私は、フェミニズム関連の記事を書くことが多いです。その際に、「男」「女」の括りに当てはめて、主語を大きくしがちなことに気が付きました。
今回の記事で、「男性が性欲を基準に、女性を傷つけても「そういうものだから仕方ない」とみなす雰囲気がある。」と記載をしました。この文章だと、男性を一般化しているので「女性を傷つけることを良しとしない」男性を取りこぼしています。誰かを除外して傷つけたり、嫌な思いをさせる記事はあってはなりません。
この「大きな主語」問題。個人的に気になったので、考察をしている人がいないか調べてみました。
そこで見つけた以下のnote。
「大きな主語」を本気で批判してみた
https://note.com/yokogao/n/n95df7f5a6eed
(街河ヒカリ)
こちらの記事で、下記のように記されていました。
「大きな主語」の三番目は、つまりラベリングだ。デジタル大辞泉によればラベリングの意味は「1 ラベルを貼ること。2 レッテルを貼って決めつけること。」だ。
ラベリング…確かに。そして、詩人の文月悠光さんのエッセイを抜粋して説明されていました。彼女が、「詩人」としてラベリングされた時の心情を語っています。
悪意なくそんな言動をとる人は、無神経であると共に、ひどくロマンチストなのだろう。彼らは相手の気持ちを汲むことなく、自分の「こうであってほしい」という願望、支配欲を無自覚に”ぶつけ“てくる。
(中略)
私は乱暴な質問をぶつけられるたび、「私の意見を聞きたいのではなく、自分の求める幻想の<答え合わせ>をしに来たのだな」と空しい気持ちにかられてきた。
(『臆病な詩人、街へ出る。』p.104)
「いや、本当にそうだな!」と感じて反省…。私がこの記事を書く際に、自分の考えを結論づけるために「一般化された定義に当てはまらない読者」をラベリングしていたなと思いました。
ただ、「この人の場合は…」「さらにこの人の場合は…」と全ての可能性に配慮をすると、まとまりのない記事になってしまいます。
そこで、YMO会では
・常に「自分の体験」「自分の目線」に基づいていた事実のみ記載する
・軸をぶらさず、読者に配慮をした言葉選びをする
・本論の主張が伝わる一般化をするなら、責任をとる
などを実践するといいのでは?という意見が出ました。
まずは、自分の目線・自分の言葉で記事を書くこと。そして、読者に十分配慮した上で、記事内容の責任を取ること。
文章は、著者の主張を通せるので、ある意味「権力性」があるツールでもあります。記事内で排除されている人はいないか、常に気を配っていこうと思います。
今週の推して参るポイント
今回は、「フェミニズム」の文脈でエッセイを書きました。ですが、読者によっては「フェミニズムとは?」と思う人もいるかと思います。
現代のフェミニズムの定義は、以下の通りです。
フェミニズム(英: feminism)とは、政治制度、文化慣習、社会動向などのもとに生じる性別による格差を明るみにし、性差別に影響されず万人が平等な権利を行使できる社会の実現を目的とする思想や運動である。
wikipedia
つまり、男女同権論のことです。ですが、何を持って「フェミニズム」と呼ぶのかは人によって様々です。時には、真逆の考え方をフェミニズムに基づいて論じることもあります。それくらい、定義が広い言葉なのです。
人によって捉え方が異なる言葉は、自分なりの解釈を提示することが大切だと学びました。
今回のYMO会で、「誰であっても嫌なことを我慢したり、流したりせずおかしいと伝える権利がある」。これが、自分なりのフェミニズムの解釈の1つだと分かりました。
昔は、人に嫌なことをされても我慢してしまうタイプだったので、フェミニズムを通した自分の考え方の変化に気が付けて嬉しかったです。
今後も、フェミニズムの文脈の記事をたくさん書かせていただくと思うので…。文章内で伝えたい軸に沿って、その記事内での自分のフェミニズムの解釈を提示していこうと思います。
最後にちょっとだけ推しらせ
https://sentence.inquire.jp/
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