映画「ストレイー犬が見た世界」レビューと目の前の猫の気持ちを考えられなかった話
ある日、雨の中で不自然に鳴き続ける猫がいました。
人にあまり興味を持つことがない横浜オーシャンアクティビティーズのブログ担当ですが、動物には興味があって、街や旅先で動物を見かけると足を止めて絡みにいったり、かわいがったりしがちでした。そんな姿を見た知人からは、「動物にはやたら反応するし優しいよね」と言われたりしていました。
先日、近所をふらふらしていると、喧嘩や発情期とは違った、不自然なトーンの猫の鳴き声が、一定の間隔で遠くから聞こえてくることに気付きました。見当をつけて、声の方向へ近づくと、遊歩道の端っこに姿勢よく座って、道ゆく人に向かって鳴き続ける猫がいました。毛色はグレーとブルーの間ぐらい、とても手入れが行き届いた綺麗な猫でした。
天気は雨で、気温は3月なのに10度に届かず、とても寒いあたり一面灰色の日でした。私は鳴き続ける猫の前にしゃがみ込んで、なんか変な鳴き方してんな、綺麗な猫だし野良猫じゃなさそうだよな・・・と思いつつ、「なんで鳴いてるの?」と猫に聞いたりしていました。猫は鳴き続けるだけでもちろん答えてくれなくって、かわいいからなんとなく動画を撮影して、寒いし雨降ってるし、ということでそそくさと帰宅したのでした。
翌日、犬の映画「ストレイ 犬が見た世界」を観にいきました。
そんな猫との出会いの翌日、「ストレイ 犬が見た世界」を観にいきました。動物が好きで、特に犬が好きで、最近仕事をペット関連に変更した自分にとって、異国のワンコ達のドキュメンタリーかつ動物愛護関連のトピックが含まれているということで、先月から楽しみにしていました。
ポスターのヒーローイメージで使われているゼイティン🐶がとてもかわいくって、というミーハー心も大いにあります。結果、これはとっても良い映画でした。どんな映画なのかは、素敵なトレイラーと公式サイト(コチラ)を見て頂ければすぐにわかるのでここでは自分が感じたことを書きます。
①人は犬に学ぶべきところがあるとおもう
高度に社会化され、その強みを生かして経済活動をまわし、文明の発展を推し進める私たち人間ですが、その先に一体なにがあるのでしょうか。同じ時をともに生きる動物たちは、この発展をどのように感じているのでしょうか。
人間が私利私欲を追求した結果、肩身が狭い思いをしたり、不自然な生殖を強要されたり、ぞんざいに命を扱われる動物たちが存在することは事実ですよね。
映画に登場する実在の野良犬たちの生き様は、シンプルでおごらず、人間を含む他の生き物に迷惑をかけないものでした。そしてそこから醸成された、種を超えて生き物たちが共生する社会は、情にあふれていてとても健全だと感じました。
基本的な事ですが、社会全体から個人の生活における小さな出来事まで、自身の言動ひとつひとつが、人・動物問わず相手にどのような影響を与えるのかを考えながら行動することが大切だとおもいます。普段から自分のことばかり考えてしまいがちな私は、犬の生き方から学ぶことが大いにあるなと感じました。
②自然に生きるワンコたちの醸し出す表情が印象的
動物に優しい国、トルコのイスタンブールが舞台なのですが、とにかく出てくるワンコ達の表情が生き生きしてます。犬目線を徹底した最高のカメラワークのおかげもあり、喜怒哀楽が如実にわかるし、自然に生きているのがよくわかります。トルコの人たちの、人間社会の規範や価値観を過度に犬に押し付けず、彼らのスタイルを尊重する姿勢がこの自然さにつながっているのだと思います。生き物が種を超えてつながって、ともに生きる社会の健全さって日本ではみることがなかったため、とても印象的でした。
③「犬のきもちファースト」のサービスってなんだろう。
残念ながら人のきもちファーストで構築・運営されているとしか言えないこの世界で、ともに暮らす動物たちがよい時を感じてもらえるような体験の提供をし続けたいという気持ちをもちました。
犬は人間の使う言葉を使用しないため、ひとつひとつのサービスが犬のきもちファーストであったのかを明確に測定する術はないかもしれません。その分、想像力を働かせて、目の前のワンコたちの表情を観察しながら行動し続けることが大切だと思いました。
あの日、あの猫が見た世界は絶望的だったとおもいました。
こんな風に、人間の身勝手さについて問題提起をしたり、もっと動物の気持ちを考えて行動すべき、と偉そうに自分の思いをつらつらと書き続けてきたわけですが、先日の自分の猫に対しての行動は、この思いを体現したものだったでしょうか。あの日、あの猫が見た世界に現れた私はどんな生き物だったでしょうか。
何かを訴えるために鳴き続けていたにも関わらず、自分を傍観し、動画撮影をして去っていった私は非情で、異常な生き物だったとおもいます。もしあの場所にいた理由が、飼い主の飼育放棄だったとしたら、あの猫からみたこの世界って本当に絶望的で、人間って最悪で、私はその一旦を担ったわけです。
突然、異常な環境に放り出されてしまったと想定されるあの猫に私ができたことは明確にあり、そこまでの想像力、考えが至らなかった自分に落胆しています。あの猫の気持ちを思って私ができることは、出会った場所を再訪して無事を確認することや、また出会えた場合は空腹をしのぐために餌をあげること、一時的に保護することです。
あの日から2度、あの場所に再訪し周辺を探しましたが、あの猫には会うことができていません。気ままなひとりぐらしを楽しみ、衣食住に困らない生活水準を保てている自分が、困っていると想定される猫を前にできたことはあったはずです。頭で考えて理想論を掲げるだけでなく、すれ違ったその時に、相手の状況や気持ちを想像して自分ができることを実行していかなければ、この記事の冒頭でえらそうに述べた社会をつくりだすことはできないと思いました。
ある猫とのすれ違いとストレイの鑑賞を、責任ある社会参加というかたちできちんと昇華し、今日からの行動につなげていきたいと考えています。
<関連記事>
書評 「それでも命を買いますか?」杉本彩さん著
書評 「ドリームボックス」小林照幸さん著
▶Yokohama Ocean Activitiesについて
Yokohama Ocean Ashes・Yokohama SUP Dogsを擁するYokohama Ocean Activitiesは、人と動物が快適に、自然なかたちで共生できる社会づくり、及び動物愛護コミュニティ拡大に貢献すべく活動しています。
海洋散骨事業
故人や大切だったペットを海へ還し弔う機会の提供を通じ、慣習に捉われない、自由で自然な供養のスタイル推進に貢献します。
ドッグサップスクール事業
人と犬が共に楽しむことができるアウトドアアクティビティであるドッグサップの普及を通して、双方の健康増進と信頼関係構築に貢献します。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?